吉村昭

『読売』の記事;


作家の吉村昭さんが死去…「破獄」で読売文学賞

 徹底した史料調査と現地取材によって、歴史小説の名品を次々に生み出してきた作家の吉村昭(よしむら・あきら)さんが7月31日午前2時38分、膵臓(すいぞう)がんのため死去した。79歳。


 家族で密葬を行い、後日「お別れの会」を開く。喪主は長男、司(つかさ)さん。妻は芥川賞作家の津村節子さん。

 東京都生まれ。旧制学習院高等科在学中に肺結核で肋骨(ろっこつ)を切除する手術を受けた。このころから小説を書き始め、丹羽文雄主宰の同人誌「文学者」に参加。4度、芥川賞候補になったが、苦渋を味わい続けた。しかし、1966年「星への旅」で太宰治賞を受け、同年、初の戦史小説「戦艦武蔵」がベストセラーに。以後、関係者への取材に基づく実証的で硬質な記録文学を数多く発表。「神々の沈黙」「関東大震災」「ポーツマスの旗」、北海道の開拓村を舞台にした「羆嵐(くまあらし)」など多彩な創作活動を精力的に続けた。

 85年、脱獄王と言われた男の生涯を描いた「破獄」で読売文学賞。同年、肺がんで壮絶な死を遂げた弟を見つめた「冷い夏、熱い夏」で毎日芸術賞を受けた。97年に日本芸術院会員。

 今年2月に入院、手術。がんについては家族以外に伏せていた。親しい編集者によると、「他人に自らの病気を悟られぬよう、最近まで元気に振る舞っていた」。兄の死に寄せて、自らの死生観を吐露した私小説「死顔」を書き上げたばかりだった。「新潮」10月号に遺稿として掲載される。
(2006年8月1日23時23分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20060801i512.htm?from=main5

実は、吉村さんの夫人である津村節子さんは、知り合いの親の知り合い。勿論、面識はないけれど。