Le Monde Diplomatiqueから2つ

 Jacques Sapir「競争理論は検証可能か」http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/b7a2bebf26d9db1c6c1195feb4b4a50a



ネオリベラル経済学者の場合、競争が果たす役割はひとつのドグマとなってしまっている。つまり、競争は絶対的な性格を帯び、具体的な実施条件を超越したものとして措定されるのである。
しかしながら、

一般均衡の理論は、経済主体が完全かつ無欠な情報を持つとするが、全知全能でもない限り成り立ちようがない仮定である。しかし、この前提は彼らの競争理論の根底に位置している。経済主体が不完全かつ非対称的な情報しか得られないとすれば、市場は効率的なものでなくなり、競争は不安定を生み出し、そして公的な直接的介入が要請されることになる。
口を挟むとすれば、完全かつ対称的な情報を有する経済主体の存立不可能性は市場原理主義を無効化するとともに、計画経済(社会主義)の存立可能性も無効化する。それと同時に、現実の資本主義経済の作動は情報の不完全性・非対称性にこそ依存しているのでは?


また、


 Anne Vigna「「エコツーリズム」の現実を問う」http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/a0d02930fb94ca4ff09348c6a40d1d62


定義が明確でない「エコツーリズム」が惹き起こしているとんでもない実態。中南米の事例。曰く、


エコツーリズムという呼称が、自然保護を名目として(実際はどうであるかにかかわらず)、従来型の観光では考えられないほどのスピードで、自然資源の私有化を推し進めている。なかには環境整備をうたったものもあるとはいえ、どのプロジェクトでも事業者の所有権の保障が要請され、地元住民が追い立てられている。
それに対抗する「連帯ツーリズム」が抱える困難。

ところで、黒川滋氏*1は「ロハス」という言葉の持ついかがわしさを批判している。