承前*1
幾つかのblogについてのメモ。
先ず、
http://d.hatena.ne.jp/Mr_Rancelot/20060721/p1
曰く、
僕は皇族は黙ってろという考えなので、仮に昭和天皇が現存していて、そのうえで個人的な意見として、靖国にA級戦犯が合祀されているのは好ましくないよと言ったとしたら、立憲君主制に相応しからぬ暗愚の帝だと評するだろう。
首相と天皇が対立したならば、葬られるべきは天皇だ。それが立憲君主制だろう。昭和天皇が仮にA級戦犯の靖国合祀に不満を持っていたとしても、所詮は one of them であって、もちろん、生きている間はその不満を昭和天皇は漏らしはしなかった。
仮に漏らしていたとすると大ごと、一宗教法人の宗教行為に国民統合の象徴が介入したということになるが、さすがに昭和天皇はそこを弁えていた。寛仁親王とは負っていた責任が違う。
http://black.ap.teacup.com/despera/196.htmlも批判的な意見。より正統左翼的な批判といえようか。ここでともに考えなければいけないのは、象徴天皇制を含む戦後日本の政体の存立は、〈東京裁判〉抜きには考えることもできないということだ。また、「奸臣に誑かされ、脅され、利用される可哀想な天皇」という物語の構築についての指摘。
http://d.hatena.ne.jp/sean97/20060721は「左派」のディレンマについて。
また、川瀬さん*2の「天皇がどう言ったかが問題ではなく、「遊就館」とかに代表されるような、靖国が持つ「歴史観」をもう一度考えねばならない」という指摘もマークしておく。
まあ、このことは(私はそんなつもりはないけれど)少し〈右側〉の人とか、天皇萌えの人を説得するためのリソースとしては使えるでしょうということだ。ただ、政治哲学上の問題として、左派でも自らをリベラルとアイデンティファイしている人にとっては、使用することはできないだろう。これまでずっと批判されてきた〈天皇の政治利用〉ということを反復してしまうからである。
「捏造」云々については、なんばさん*3にお任せ。ただ、今回の騒動の背景として、昭和天皇が書かない人だったということがあるということは指摘しておく。昭和天皇の最大の罪は回顧録を書かなかったことだといったのは、たしか色川大吉だったか。