戦争の役にたたない/革命の役にたたない

http://katos.blog40.fc2.com/blog-entry-90.htmlにて知る。


 川端利彦「「戦争の役にたつ」「革命の役にたつ」ってどういうこと?」
 http://www.hi-ho.ne.jp/soyokaze/kawabata.htm


その後、先輩で精神病院を経営されている方に出会う機会があってこの話*1をした。先輩は「自分の病院に300人余りの患者さんがいたが、米の配給がほとんどなかった。たまたま週1回の配給がハムだというので喜んでいたら小さいハムが1本だけだった。これでは患者さんがもたないと言ったら、『戦争の役に立たない人間にやる食糧はない。それだけでも喜べ』と憲兵下士官に言われて、すごく腹が立ったががまんした。仕方がないので土地をはじめ自分の資産を全部はたいて闇の食糧を買った」とのことであった。
 その後、資料で精神病院のベッド数の推移を調べたところ、太平洋戦争前のベッド数は2〜3万であったのに、1945年終戦時は4000に減っていることを知った。「精神障害者は戦争の役に立たない」という言葉が頭にこびりついてしまった。

 昼休みの時間、医学部の構内をぶらぶら歩いていた私は、たまたま一人の先輩に出会った。「民医連」の診療所などで時々出会うことがあって、顔見知りの先輩である。突然彼に「君は卒業したらどの診療科を選ぶつもりか?」と尋ねられた。私は大いに迷っているところであった。一種の憧れのような気分で医学部に進み、はじめの解剖学や生理学などには関心をもった。しかし、臨床の講義と実習がはじまり、内科や外科のいわゆる医局なるところに行くと、そこでは実にくだらない話がうずまいていて、医者というのは何という俗物の集まりかと、ついがっかりしていた矢先だったのですぐには答えられなかった。
 その時、当時実習に行き始めていた精神科の医局が頭に浮かんだ。精神科の医局ではくだらない話は比較的少なかった。しかし、患者の現実とはなれたアカデミックともいえる話が多いのも事実であった。それでも、他科にくらべればまだしもましかなどと考えていた時だったので、「精神科を選ぼうかと思っています」と答えた。その途端に「なに!精神科? それはやめろ」と即座に言われてとまどった。「どうしてですか?」と怪訝な顔をした私に、先輩は「精神障害者は革命の役にたたない。それより外科、内科などの技術を身につけて山村工作に加わるべきだ」と言った。山村工作という言葉は私には多少とも魅力的に響いた。常々そういったことも夢想していたからである。しかし、何よりも「精神障害者は革命の役にたたない」という言葉が頭に充満した。そしてその言葉は「精神障害者は戦争の役にたたない」という言葉に置き換わって、精神病院で栄養障害で死亡した中学からの親友の顔で頭がいっぱいになった。「やはり、僕は精神科を選びます」と言ってさっさときびすをかえした。
 「戦争って何だ! 革命って何だ!……要するに弱者の生存を認めないということなのか」。この言葉は、その後ずっと私の頭を離れなかった。

加藤氏は「もちろん「時代」なんかのせいではない」と言っている。しかし、ある自明で共通の前提が(束縛的に)共有されていたことはたしかだろう。勿論、数十年後の私たちがその「前提」から免れているのかどうかは疑われて然るべき事柄である。

*1:著者の親友が終戦直後に精神病院で餓死したこと――引用者註。