青山ブックセンター等々

金曜日は雨。関東地方は梅雨入りしたらしい。
しかし、日比谷線築地駅から地上に出ると、雨は止んでいる。駅の周りをぶらついて、中央区図書館に寄る。昨日コピーしわすれた内藤論文をコピーしようとして。しかしながら、6月15日まで館内整理のため臨時休館とのこと。図書館の前には、さっきまで雨宿りをしていたであろうホームレスのおじさんがひとりでまったりしているだけ。じゃあ、銀座の裏通りを突っ切って、西村画廊で町田久美という新世代の日本画家を観ようと、数寄屋橋交差点近くまで行ってみるが、西村画廊日本橋に移転していたのだった。というか、近々ビル自体が取り壊されるらしい。そういえば、丸ノ内の「ミクニ・カフェ」もビル取り壊しのため、先月閉店したということを、今回知った。
日比谷線で六本木。外苑東通りを東京タワー方向に下って、AXIS GALLERYで、「スーパーノーマル展」を観る。デザイナーであるJasper Morrisonと藤澤直人の両氏がキューレイトする。集められたのは、工業的に製造された〈ふつう〉の日用品が204点。藤澤氏が「無印良品」に関わっているせいか、「無印良品」の比率が相対的に高いようにも思えるが。キューレーションの意図としては、私たちが日常的に目撃はしても注目はしない〈ふつう〉の日用品に潜む美を発見してもらおうということらしい。たしかに、日用品の多くはこれ以上デザインのしようがないほど〈美しい〉。しかし、日用品というのは、そこら、つまりデスクや台所に転がっているのが自然であろう。或いは、自ら購入されるのを待ちながら店に置かれている。それが、道具的聯関から剥ぎ取られて、ギャラリーに手を触れないで下さいという仕方で展示されているのを見ると、〈機能〉或いはそれが埋め込まれた〈生活〉とは別の(無)意味が喚起されそうになるのもたしか。
六本木では、TARO NASU GALLERYの田口和奈の写真展も観たかったが、青山ブックセンターで、妻を待っていたため、観損ねる。
青山ブックセンターは前日に新装オープンしたばかりとのことで、前日観た徐美姫のトーク・ショーを行っていた。 故郷福井での在日韓国人である父親との葛藤の話、それから荒木経惟の写真のような切ない波を撮れと言われたとか、海の写真を撮っているものの、実は海は嫌いで怖いとか、興味深い話。


 的場昭弘『ネオ共産主義論』光文社新書、2006
 『SIGHT』28、特集「小泉靖国参拝で日本は何を失ったか」


を買う。『SIGHT』はA5になっていて、最初は『SIGHT』だとは気づかなかった。『SIGHT』は中途半端に『Esquire』だとか『GQ』に被ってしまう感じがあったが、それが今度は払拭されている。ホイチョイ・プロダクションのレストラン・ガイドがなくなったのはちょっと残念。渋谷陽一の巻頭言をちょっとメモしておく;


切り口はシンプルである。常に知的で批評的でありたい、ということだ。別にとりたてて強い思想的な背景があるわけではない。あえて言うなら、ロックに植付けられたラヴ、ピース、そしてフリーという、中学生レベルの思い込みである。それでも、ニール・ヤングよりは5年若いが、60年代に青春期を過ごした記憶のDNAには、それなりの反権力意識が刻まれているかもしれない。どこまで走れるかは分からないが、とりあえず行けるところまで走ってみようと思っている。

好井さんの『「あたりまえ」を疑う社会学』を読了したのだが、これについての感想とかは上海に戻ってからになるか。桑江さんからいただいたお題もまだだし。