Robin Rhode/田名網敬一

銀座の資生堂ギャラリーにて、ロビン・ロード展を観る。ロビン・ロードは、南アフリカ出身で、現在伯林在住のアーティスト。作品の基本は屋外におけるチョークによるドローイング、その写真若しくはヴィデオによる記録/記憶である。スケート・ボード、かっぱらい、ヨーヨーといったストリートの活動をなぞったドローイングそれ自体が一回性のパフォーマンスであり、展示されるのは、その運動の痕跡の記録であるということになる。屋外でのチョークによるドローイングという振る舞いはそのまま公共空間への介入であり、藝術的であると同時に政治的な振る舞いでもある。さらに、そうした手の運動の痕跡の記録/記憶を展示するということは、一方では、グラフィティにおける匿名性を回避するとともに、ストリートから引き籠もることによって、閉ざされることによって公共性を確保しているギャラリーという空間と「ストリートとの間にブリッジをかける」(神谷幸江)ことでもある。

田名網敬一主義』@ギンザ・グラフィック・ギャラリー
1Fが2006年の新作。B1Fが旧作。
田名網敬一の作品は一度注目すると、トラウマになる。何十年にも亙って、記憶の片隅からひょっこりと、しかしながら強迫的に反復を繰り返す。(アーティストならば誰でもそうなのだろうけれど)田名網さんの作品自体が自身のそのようなオブセッションを定着したものである。署名的な機能も果たしている松や波や金魚や唐子といった形象の反復。それは田名網さん自身のオブセッションであり、そのオブセッションは観る者にも確実に感染する。ただ、田名網さんにはもうひとつ別のオブセッションがあるようだ。幾何学的秩序へのオブセッション。ここでキュービズムという言葉を使っていいのかどうかはわからない。この幾何学的秩序(具体的には世界を円形若しくは球形の集合体として再構成すること)は、一方ではトラウマを包み込むシュガー・コートとして機能し、他方では心地よいリズムを生成させている。
はてな」から幾つか反応をサンプリングしてみた;


今日は終わってから特に何もなかったのでお散歩。

gggにて田名網敬一主義展。

ドギつかったわー 色合いがギトギトだった。

どんな若者が描いてるのかしら!っておもったらオジちゃんだった。

すごいパワー アニメーションもいっぱいでおもしろかったなぁ。
http://d.hatena.ne.jp/akkomon/20060606


あとgggの「田名網敬一主義展」も観た。

なんつーかサイケデリックっつーか毒々しいというか。

なんとなく楳図かずおとか、日野日出志とかそういうのを思い出した。

チキンジョージとか、地獄小僧とか。
http://d.hatena.ne.jp/mori_103/20060606

勿論「ギトギト」なのだけれど、「ギトギト」って、最近ではそんなに珍しいものなのですかね。

それで思いついたのだが、昨今流行の〈萌え〉というのは、オブセッションのかたちとして理解できないのだろうか。そうだとしたら、〈萌え〉はオブセッションとしては、ちょっと淡泊というか脆弱だと思うのだが、如何だろうか。