クオリアとか斉藤清六とか

http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060517/p5経由で、「講談社が盗撮と人権蹂躙」*1を知る。『VoCE』という雑誌については何も知らないのだが、この雑誌は「クオリア」という言葉が好きなそうな。「クオリア」というのは、私にとって、流行っているけれどよくわからない言葉の一つである。茂木健一郎さんとかが言っている言葉ですよね。「「萌え」って、クオリア体験なんでしょうか」ということなのだけれど、なんばさん*2、どうなんでしょうか。また、「斉藤清六」という懐かしい名前も発見。
明治時代に〈下層社会〉潜入ルポが流行って、現在では岩波文庫にも収録されていて、それなりに重要な歴史学的・民俗学的資料にもなっているのだが、そのノリというのが〈探検隊〉的なノリなのだ。二次的な情報だけで言うのはあれなのだけれど、件の「潜入レポート」もノリとしては近いのか。或いは、内へと向かったオリエンタリズム。そして、kmizusawaさんのコメント――「何か報道を規制するような動きがあるたびにマスコミ人は「言論の自由を守れ」とか言って騒ぐが、言論の自由のもとでやってることは為政者側に都合のいい情報操作とマジョリティのガス抜き用にマイノリティを叩いたりおもちゃにしたりすることではないのか」。ここでいわれている「マジョリティ」だが、「マジョリティ」の地位というのは、寧ろ「マイノリティを叩いたりおもちゃにしたりすること」によって、遂行的に達成されるのではないかとも思う。