http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060312#p1からの孫引き;
色々なところで引かれていますね。例えば、using_pleasureさん*1はその含意を考察して、
日本経団連の奥田会長は8日の記者会見で、残虐シーンが含まれるゲームソフトが原因で社会に適応できない若者が増え「ニート」増大の一つの要因になっていると指摘。チェック体制の確立に向け検討を始めたことを明らかにした。
経団連は「ニート」が日本の若者に増加していることを問題視。具体的な対応策を検討しているという。奥田会長は記者会見で「ゲームで残虐なシーンを見て、社会に適応できなくなったのなら、そのようなソフトをつくるのは問題」との認識を示した。
若者や子供が夢中になっているゲームソフトについては、のめり込みすぎることで仕事や勉強の意欲をそぐ原因になっているとの指摘もある。残虐な描写などを含むゲームソフトは、十八歳未満への販売を禁止する設定を検討している。
(3月9日付、中日新聞8面)
と纏めている。さらに曰く、
つまり、奥田発言は、という二点において問題があるわけだ。
多分これは妥当なのだと思う。しかし、重要なのは、問題を心理学化してしまっているということであろう。そして、それによって確実に隠蔽されてしまうことがある。
また、この奥田発言がおぞましいのは、セイフティネットとしてほとんど恣意的に「残虐ゲーム」規制が掲げられていることに見られるように、「ニート」という「社会的弱者」を踏み台として(言い訳として)およそ本来の問題解決とはなんの関わりもないような公共的政策が正当化されてしまっている、という点にもある。「ニート」は奥田氏にとって、たんに踏み石に過ぎない。「ニート問題解決のため」という誰も異論を挟むことができないような印籠を掲げて、まるでその実質的解決に結びつかない政策を堂々と提案するそのやり口が、まさに嫌らしくおぞましいのだ。「ニート問題の解決」というお題目も、「残虐ゲームの規制」というお題目も、どちらもお題目としては「良識ある市民」に容易く受け入れられるような質のものであることは確かだ。しかし、それがキマイラ的に結びつくとき、そこにはただならぬ不健全さが宿ることになる。「ニート」と同様「ゲームにおける残虐表現」なるものも定義が困難であるというのに。
ところで、これは「記者会見」という場面で行われた発言。奥田氏の発言だって、こんな、短い要約では収まらない内容があるかも知れないし、このような発言に対して、おいおいとかちょっとちょっとという質問をした記者がいたのかいなかったのか、知りたいと思う人は少なくないのではないか。記者会見とかそういう公的に行われた発言についてはできるだけ速やかに完全なトランスクリプトをサイト等で公開するということは制度化できないものなのか。一次資料にアクセスする権利はそれが特にプライヴァシーに関わるものでない限り、万人に開かれるべきだ。少なくとも一部の大手メディアに独占されるいわれはない。このままだと、奥田=馬鹿というのは定説になってしまうだろう。それを回避したいならば、再検討に資するために一次資料を公開するしかないのではないか。
さて、http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/521268.htmlに引用されていた
だけれど、次は何が悪いということになるの?
22 名前:名無しさん@6周年[] 投稿日:2006/03/09(木) 14:44:04 id:dhqA7Xo00
25年前「インベーダーゲームが悪い」
70年前「野球が悪い」
400年前「歌舞伎が悪い」
1500年前「仏教が悪い」
2800年前「米作りが悪い」