「俗人の修道生活」

http://www.cnn.co.jp/usa/CNN200603120002.html


を読んで、カトリックプロテスタント化していると思ったのは私だけだろうか。
「あんとに庵」さん*1は、


しかしよく考えたら。俗界の価値で生きない、自主的参加な共同体というのは要するに一種の修道会だよね。俗人の修道生活。なにも世の中の法を変えろというわけでなく、在俗にありながらにして「貞潔」を守ろうとする人々の自主的な共同体というわけですな。こんなのは「清貧」な共同体を営みはじめたフランシスコ会みたいなもんで、昔からあるのにニュースにするほどのことか????

わたくしはそこに住めといわれたらちょっとヤだけど、「従順、清貧、貞潔」の修道生活に入る人が世の中にはいるのと同じで、こういう、性なる・・・いや、聖なる生活を送ることで魂の安寧を得ようとする人々がまぁいるだけという話か。

と書いている。
ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を持ち出すまでもなく、宗教改革のコアの部分に〈世俗社会の修道院化〉ということがあったことはたしかだ。カトリックの日本の葬式佛教にも似たある種のいい加減さが好きだったのに、どうしたことか。
アメリカにはアーミッシュのコミュニティはあるし、ユタ州だって、そもそも東部での大迫害を逃れたモルモンたちのコミューンであるといえないこともない。そういう意味では「昔からある」ことなのだろう。ただ、カトリック的ではないとは感じる。
ところで、この街には当然「ドミノ・ピザ」はあるか。