雷鋒

私が初めて中国で暮らしたのは1989年から1990年にかけてのこと。所謂〈六四〉の直後である。考えてみれば、それは私の人生において最大に近い転機となったのだが、それは措いておく。春節が過ぎて2月になると、街中はある童顔の男性のポスターとその男性の名前を含むスローガンで埋め尽くされる。〈雷鋒の季節〉がやってきた。大学生は街に出て、清掃のような奉仕活動をし、大学の英語の授業まで雷鋒をネタに使っている。夜になると、〈雷鋒クイズ大会〉。
さて、2006年の上海。さすがに街中が雷鋒のポスターやスローガンで埋め尽くされるということはない。しかし、やはりこの季節になると、メディアでは雷鋒が登場する。しかし、その取り上げ方たるや、私が10数年前に見たのとは少なからず、違っている。雷鋒はシンボリックな地位としては、毛沢東周恩来に次ぐといっていいだろう。建国後の英雄としては、ほかにも労働模範や模範党員はいるものの、殆ど唯一といっていいのかもしれない。つまり、雷鋒というのは〈学ぶ対象〉であっても客観的に論じたりする対象ではなかった。
本屋ではまだ見かけていないのだが、師永剛、劉瓊雄編『雷鋒 1940-1962』(生活・読書・新知三聯書店)という本が出たらしい。『三聯生活週刊』2月27日号の王小峰「留住雷鋒」(pp.38-41)は雷鋒の写真をそれぞれ200枚以上撮った張峻と李増という2人のカメラマンに焦点を当てて、〈雷鋒〉が構成されていくプロセスを振り返っている。当事者の証言によりつつ、ようやく雷鋒の脱神話化が進みつつあるというところだろうか。また、簡光洲「別様雷鋒一様紅」(『東方早報』2006年3月1日)では雷鋒の初恋の女性まで公開されている。
ところで、英語のマテリアル、Stefan R. Landsberger “Lei Feng*1は雷鋒の簡単なバイオグラフィとプロパガンダ絵画の図版を含む。特に、この手のものに萌えている人にはお薦め。