饅頭殺人事件について2つ

承前*1
*2迪「誰比誰無恥?」(『新世紀週刊』2006年2月20日号、p.69)は、『一個饅頭引發的血案』に対する支持の背景は『無極』に対する大衆的失望であるとする。それは「人〓*3対主流文化的懐疑和嫌悪」であると。それにしても、「当の陳凱歌はここ数年ずっと『覇王別姫』を超えることができる映画を撮っていない」と指摘されているが、私もそれは事実だと思う。『無極』は別に期待して見に行ったのではないので、「失望」もしなかったわけだ。
揚小濱「後現代“饅頭”〓*4住了現代的崇高喉〓*5」(『東方早報』2006年2月28日)は、この争いをモダニズムvs.ポストモダニズムの争いと解釈する。或いは〈父親殺し〉。曰く、


(略)他[陳凱歌]所面臨的、無異於《荊軻刺秦王》中的贏政和《無極》中的昆侖所面臨的悖論式無奈。贏政只有殺了呂不韋纔能証明呂不是他的父親、也就没有必要将他殺死。昆侖只有在審判中説出弑王擒妃是他自己、纔能解救大将軍光明;但如果他説出了、光明也就不需要傾城的眷顧、死不足惜了。
つまり、「他[陳凱歌]似乎只有通過認定胡弋的違法纔能維護自己的藝術声誉」ということなのだと。因みに、引用文の中の『荊軻刺秦王』の日本でのタイトルは『始皇帝暗殺』。

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060225/1140884437

*2:Deng Xiaopingのdeng。

*3:men。にんべん+門。GB3539。

*4:ye1。くちへん+壹。GB5013。

*5:long2。くちへん+龍。GB3392。