豫園

 春節のことを書き忘れていた。
 大晦日の8時頃に買い物に出かける。数時間前まで人でごった返していたのに、嘘のような静けさ。車も殆ど走っていない。開いている店も殆どない。やはり人の少ない地下鉄の駅の隅の方では、ホームレスの方々が宴会を始めている。それから、表の大爆発をききつつ、(冷凍食品ですが)餃子を茹でて、CCTVの『春節晩会』を視て過ごした。日本でいえば、「紅白」を視ながら大晦日を過ごすというノリだろうか。この『春節晩会』という番組、あるデータでは94.3%*1、またある報道*2では98%の視聴率を稼いだそうな。爆竹&花火は11時前から本格的になり、ピークは29日(戌年)になりかける頃。音と光もさることながら、硝煙のため、辺りは霞んでいる。12時を少し回った辺りで、硝煙の中、20分程、近所を散歩。あちらこちらに、爆竹や花火の燃え滓が散乱している。
 元旦及び30日は外出せず。
 31日(初三)、夕方から豫園へ行く。実は、上海に来てから豫園の方面には足を向けたことがなかった。豫園商城では人混みを掻き分けて、小籠包を食べる。しかし、この小籠包、皮ばかり厚くて、身があまりないぞ。食べ終わってから気づいたのだが、ここはあの有名な「南翔」の隣の店だった。「南翔」の方は100人以上の行列ができている。「湖心亭」へも長蛇の列が出来ていて、お茶を飲もうにも叶わない。ただ、その少し後に食べた臭豆腐は美味しかった。
 豫園へ行く目的はそれだけではない。豫園が実はそもそも上海城隍廟*3の附属施設であることはああまり知られていないのではないだろうか。城隍廟といえば、その土地の神を祀った社である。上海に来て、そこにご挨拶しないというのは、全く以て失礼千万な話である。私は豫園には2回来ているのだけれど、今まで城隍廟に参拝したことはなかった。ただ、庭園を観て、湖心亭でお茶を飲んだだけである。ちょっと弁解させてもらうと、城隍廟は1966年4月に閉鎖され、修復の上、宗教施設として一般に開放されたのは1995年春節である*4。最後に豫園を訪れたのは1994年5月だから、その時は参拝しようにも不可能だったのだ。ということで、上海へ来たご挨拶も兼ねて、城隍廟に参拝。新暦の初詣は佛教だったが、春節道教ということになる。学問の神と財神が祀られている祠あり。そこの対聯の片方に曰く、「学海無涯苦作舟」。学人須く座右に置くべき言葉なり。城隍廟から南に下ると、豫園一体の〈観光地〉的華やかさとは打って変わった、(再開発を免れたというか、取り残されたというか)うらぶれた一角あり。妻曰く、30年間時間が止まっている。旧上海県城には「文廟」もあれども、孔夫子には失礼して、徐家匯方面への直通バスで帰途に就く。バスに乗って10分足らずで、そこはもう淮海路である。
 春節の話は、今後、アナクロニスティックに書き散らしていくつもりである。

*1:http://www.explore.ne.jp/news/article.php3?n=2152&r=sh

*2:『申江服務導報』2006年2月1日

*3:http://www.ne.jp/asahi/yume/dreams/main/Photo_shanghai_days.htmに写真あり。

*4:張化『上海宗教通覧』、上海古籍出版社、2004、p.226