特に堀江さんを擁護するわけではないが

 内田樹*1は書いている;


堀江貴文というひとがメディアに出てきたときにどうしてこんな人物が注目されるのか理由がわからず、堀江と面識のある平川君に「どんな人なの?」と訊いたことがあった。
「金の話しかしない退屈な男だった」というのが平川君の評言だった。
しかし、世間はそうは思わなかったらしく、そのあとの活動の華々しさはご案内のとおりである。
なかなか話題性のある人物だし、自己演出も巧みであるから、メディアがもてはやすのは理解できるけれど、彼の事業に投資した投資家たちはいったい何を考えてそんな無謀なことをしたのかいささか不可解である。
だって、誰が聴いてもあれは「詐欺師の声」である(もうひとり、「誰が聴いても詐欺師の声」をしている投資グループの総帥がいますね)。
おそらく多くの投資家たちもそれはある程度わかっていたと思う。
とりあえず、「詐欺」が成功している間は「勝ち馬」に乗って儲けさせてもらい、司直の手が入る前のぎりぎりのタイミングでライブドア株を高値で売り抜ける計画だったかもしれない。
(「投資家と大衆社会http://blog.tatsuru.com/archives/001502.php
たしかに、「金の話しかしない退屈な男」かもしれない。しかし、だからといって、「詐欺師」というレイベリングをすることが可能なのだろうか。これは、「オウム」と「ライブドア」に関する「東氏の文章を!と?を交えながら読」*2んだ理由でもある。堀江はたんなる〈投資家〉ではなくて、やはり〈IT業者〉なのである。つまり、産業っていうのは第二次産業ものづくりだぜという考えの持ち主から見れば〈虚業〉といえるかもしれないが、堀江はポータル業者として、またプロヴァイダーとして、〈場〉をつくりだしてきた。事実、その〈場〉には多くの人たちが堀江の意思とは無関係にコンテンツを充填している。その人たちは堀江に騙されていた(いる)わけではない。また、今回の事件に関しての「ポータル業者」或いはニュース・メディアとしての「ライブドア」のスタンス*3はそれなりに正当に評価されるべきだと思う。堀江の「退屈」さというのは、多分(彼のライフ・ヒストリーに由来する)〈無教養〉のせいなのであり、ただそれだけなのだ。ただ、(東大に合格する)学力はあっても教養がないというのは、これも既に陳腐の類に属する〈日本人論〉なのかも知れないが。
 内田氏のテクストの後半の「株式市場」と「大衆社会」について語られている部分に関しては、特に異論はない。さらに突き詰めれば、「市場」に限らず、国民国家であれ何であれ、近代社会というのは、それ自体としては根拠もなく(たんなる〈萌え〉に発しているような)意志(will)によってしか基礎づけられないという脆弱性を孕んでおり、だからこそ、〈市場の声〉とか〈人民の意志〉とか〈国民感情〉とかいった集合的な主観性が不断に捏造されるわけだ。