トラックバック?

  松永英明
  「トラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突――「言及なしトラックバック」はなぜ問題になるのか」
  http://kotonoha.main.jp/2006/01/06trackback.html

 
 今度は、「2つの文化圏」*1が「4つ」に増えている。
 まあ、それはそれとして、私は「トラックバック」ということがどういうことなのか、いまいちわからない。「はてな」内部だと、blogで「はてな」内のどこかの頁に言及すると、自動的に「トラックバック」が送信されることになっている。しかし、「はてな」の外の場合は、いちいち「トラックバック」を送信しなければならないことになっている。それは非常に面倒臭いことなので、(外部に)「トラックバック」を送信したことは殆どない。
 広いblogの世界を見回してみると、ちょっと不思議な習慣が存在していることに気づく。そこでは、trackbackというのはギフトのようなものとして流通しているらしいのだ。「はてな」内部の場合は、機械的・自動的であって、そこには〈私〉という主語はお呼びではない。英語で表現するならば、


  It trackbacks to somewhere.


という具合になるだろうか。勿論、itは非人称である。「ギフト」においては、trackbackというのは動詞ではないのだ。つまり、


  I trackback to somewhere.


ではない。日本語では、〈……さんにトラックバックをおくります〉と書かれているようだ。「おくります」が一般にどのような漢字表記なのかは記憶してはいないのだが、〈送ります〉というよりは寧ろ〈贈ります〉なんじゃないかな。それからトラックバックが回付される宛先はsomewhereではなく、somebodyということになる。英語でいえば、


  I give a trackback to somebody.


である。これは、松永氏が


 たとえどんなトラックバックが送られてきたとしても、相手にトラックバック返しをしたり、あるいは相手記事のコメント欄で「トラックバックありがとうございます」と返事をせずにはいられない文化圏の人たちもいる。これは最も一般社会的な「きちんと挨拶するちゃんとした人」たちである。

 ここでは、内容が関連するかしないかはあまり関係がない。とにかく「トラックバック」だかなんだかわかんないけど、自分のブログに何か送信してくれた人がいる、という「何らかのつながり」があったことを喜んでいるのである。ちょうど、登山する人たちが、すれ違った相手は誰であろうと必ず挨拶を交わすように。

 それが自分のブログにとって有益な情報かどうかも、この文化圏の人たちには関係がない。完全なスパムでしかないブログにも「トラックバックありがとうございます!」というコメントが数多く寄せられているのを見れば、その事実がわかるだろう。つまり「かまってもらえた」ことを喜んでいるだけなのだ。

 ただし、こういう人たちは、一般社会の文化をそのままネットに持ち込んで日が浅い人たちである。言い換えれば、ネットはちょっと違うところなんだ、ということに気づきはじめた人は、たとえばスパムはやめてください、と言い出したり、リンクがなければ弾きます、と言い出したりする。つまり、スパム攻撃を受けてトラックバックの意味を考えはじめるようになると、「言及リンク文化圏」や「関連仲間文化圏」へ移行するようになる。

という「ごあいさつ文化圏」に属する人たちの身振りなのかな。ただ、私見によれば、そういう身振りをする人は必ずしも「一般社会の文化をそのままネットに持ち込んで日が浅い人たち」とは限らないような気がする。或いは、「関連仲間文化圏」の人たちか。こちらの方が寧ろ妥当だろう。ただ、その分布は「アニメや特撮などの番組の感想を書き連ねているブログ」には限らないと思う*2。それと、そういう場所では、そのblogを軸として、相対的に濃い、井戸端会議的な、或いはオフ会なんかも込みにしていそうな人間関係が形成されていて、一見の読者には敷居が高いぜと思わせることも多い。
 私は、〈機械的・自動的〉な「はてな」の仕方がいいとは思うけれど。