『身体政治』

 上海に住み始めたばかりだというSHIRACOさんという方が、


上海に来てから街ゆく人々を見ていて思うことがあります。
カップルが非常に仲が良い
おーっととってなことも多々あります。
さらに女の子同士も仲が良いのよね。
腕組んだり、手を繋いだり。
あと親子も。高校生くらいの男の子も
ママと仲良さげに手を繋いで歩いていたり。
http://haihaihoo.jugem.jp/?day=20051209
と書いている。鋭い観察だと思う。たしかに、上海では人々の身体的密着度は高い。カップルのロチュー、つまり路上キスに出会す確率も東京以上に高いといえる。http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060101/1136137336で、「一茶一坐」のことを書いたが、私たちの隣のテーブルでは、高校生か大学生くらいの男の子とその母親が仲良く山のような氷小豆をつつき合っていた。私も中国人の対人距離はすごく密着しているとは思う。しかし、即断は禁物。例えば、日本人の場合だって、一緒に風呂に入る〈裸の付き合い〉といった側面もある。さらに観察を重ねなければ、一般的なことはなかなかいえない。
 さて、


  葛紅兵、宋耕
  『身体政治』
  上海三聯書店、2005


という本を買う。
 これはシンガポール南洋理工大学の研究プロジェクトの産物だということ。
 目次を書き出してみる;


第一章 身:中国思想的原初立場
第二章 政治的身体:在古代希臘及現代西方世界
第三章 “五四”新文化革命中的“身体”観念
第四章 階級的身体――革命時代的身体意識形態
第五章 身体写作――啓蒙叙事、革命叙事之後:身体的後現代処境
第六章 飢餓的文化政治学
第七章 性政治
第八章 病中的身体
第九章 身体在世状態――論窮愁、悔恨、陶酔、孤独
第十章 身体倫理学――倫理奠基於身体之上
後記
はたして、上の観察と結びつくのだろうか。
 中国語では、黙読を「看」、音読を「読」というが、現時点では、語学力上もまた時間的にも(中国語ではなくて日本語の)「看」に止まりがちではある。中国語を、日本語並みまではいかなくとも、せめて英語並みに読めるようにしなければ。

 さて、やはり正月の3日なのだなということで、「季風書園」から淮海路に出てみると、百盛(Parkson)は普段の倍以上の賑わいで、通路もロープを張って、入口専用と出口専用に分けられ、客も排隊どころか行列を為している。百盛に入ったのは、洗手間が目当てだったが、そこに辿り着くまで、普段の倍の疲労。地下のスーパーも混雑していたので、食品の買い物も諦める。対面にあるスターバックスでは席を確保するのに10分待ち。時々紙コップを啜りながら、階段でぼけっと立っていなければならなかった。