哲学


 〈哲学する〉というのは、あらゆる「理念の衣」(フッサール)を
脱ぎ捨てる覚悟をするということだよね。それは実際には不可能なのだけれど。
だから、哲学する者とは常に脱ぎ続けるストリッパーということになる。
しかも、最終的に脱ぎ終わって裸体が露出するという幻想は持ってはいけない。
 いちばん惨めなのは、「理念の衣」を脱ぎ捨てるどころか、ファッション・セ
ンスもなしに、「理念の衣」を厚着しようとする奴。しばしば、
その「理念の衣」がぱっちもんであるのは笑えるけど。まあ、それは、
そもそもてめえはせいぜいユニクロでも着ていればいいものを、
柄にもなく、ブランド品を着ようなんて気取ってしまった帰結なのだけれど。
 また、てめえは「青山」を着ている癖に、何か高級ブランドを着ていると
錯覚して、「コナカ」を軽蔑するといったすっとこどっこいもいますね。
 あるMLに投げた文章。自戒の意味も込めて、ここにも掲載することにする。
 なお、「理念の衣」は、フッサールの用法からはずれている。フッサールにおいて、「理念の衣」を着せられるのは、私を初めとする人ではなくて世界だからだ。それを換喩的に転用した。フッサールのオリジナルの用法については、直接『危機書』を参照されたし。