アレントについて若干

  稲葉振一郎「市野川容孝「論潮 2005年回顧」『週刊読書人』第2618号」
  http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20051216#p1

からの孫引き;


「A・ネグリのような人も、「国民国家」を消滅させるために、従来の社会保障の解体を願っているが、ハンチントンが黄禍論を引っ張り出すのと同様、ネグリもまた過去を反復している。それは、革命的敗北主義というやつだ。

 第一次大戦当時、レーニン反戦・平和を唱えたりはせず、戦争によってロシア帝国をぶっ壊させ、そこから革命のチャンスを引き出そうとした。ネグリの考えも、おそらくこれと同じだ。つまり、社会的な国家(福祉国家)を国民国家と混同した上で、新自由主義にこれを解体させ、何か別のものが生まれると期待しているのである。

 しかし、革命的敗北主義というのは昔から、人びとを平気で死なせるという意味で、革命的サディズムでもある。戦争という大量殺戮を否定せず、これを革命に利用しようとしたレーニンと同様、ネグリも、多くの人びとに(死を含む)受難を強いる新自由主義の暴力を黙認、いや強化するつもりらしい。レーニンの革命的敗北主義を、ローザ・ルクセンブルクは是認できず、また大戦に与したSPD主流派を批判しながら、反戦・平和のために最大限活動し、そして投獄された。そういう違いは今でもある。」

 これについて、アレントの「ローザ・ルクセンブルク」(『暗い時代の人々』阿部齊訳、ちくま学芸文庫)から抜き書き;


 しかしながら、一九〇五年の革命の序曲には彼女[ローザ]がまったく見逃していた二つの側面があった。何よりもまずこの革命が、工業化されていない後進国であるだけではなく、大衆的支持を伴った強力な社会主義運動がまるで存在していない領域に勃発したという驚くべき事実があった。そして第二に、この革命が日露戦争におけるロシアの敗北の結果であるという、同様に否定しえない事実があった。これらはレーニンが決して忘れることのなかった二つの事実であり、そこからかれは二つの結論をひき出した。第一は、巨大な組織は必要としていないということ、すなわちひとたび旧体制の権威が一掃されてしまうなら、何をなすべきか知っているリーダーに率いられた、小さいが緊密に組織された集団で、権力を握るには十分なのである。巨大な革命組織はむしろ邪魔物にすぎなかった。そして第二に、革命は「創り出される」ものではなく、個々人の能力を超えた環境と事件の結果であるところから、戦争が歓迎された。この第二の点は第一次大戦中における彼女とレーニンとの論争の源であり、一九一八年の、ロシア革命におけるレーニンの戦術に対して彼女が加えた第一の批判でもあった。彼女は終始無条件的に、戦争がいかなる偶然の結果を伴うとしてもそこに最も恐るべき災厄以外のものをみることを拒んだからである。人間の生命を、とくにプロレタリアの生命を代償とすることは、どうあっても高価にすぎたのである。さらには、革命を戦争と虐殺の不当利得者――それはレーニンの少しも意に介するところではなかったが――とみることは彼女の意に反することであったろう。組織の問題についてみれば、彼女は人民全体が何らの役割も何らの発言権も持たないような勝利を信じていなかった。実際彼女は、如何なる代償を払っても権力を保持するなどということをほとんど信じていなかったため、「革命の失敗よりも醜悪な革命のほうをはるかに恐れていた」。このことは事実上、ボリシェヴィキと「彼女の間の大きな相違」だったのである(pp.87-88)。

 因みに、アレント曰く、「新左翼の運動も旧左翼に変る時が訪れると――通常そのメンバーが四十代に達する時――初期におけるローザ・ルクセンブルクへの熱狂を青年時代の夢とともにいそいで葬り去った」(p.63)。

 『暗い時代の人々』の中では「ヘルマン・ブロッホ」論が圧巻。ブロッホの思想というのは、全くアレントと相容れないというか、寧ろアレントブロッホの著作集を編集するために、ブロッホのテクストを精読しながら、そしてブロッホに抵抗することによって、〈アレントの思想〉を生成していっているかのようだ。
 「ブロッホ」論の中には、後の『精神の生活』で転回されるはずの「思考」と「知ること」の区別(p.200ff.)が出てくるし、またactingとdoingの区別*1(p.227ff.)も出てくる。「ブロッホ」論の初出は1955年だが、この区別はその数年後の『人間の条件』では、action/workの区別として、〈アレントの思想〉のコアを為すはずのものである。
 ちょっと抜き書き;


 行動することと処理することは、思考することと知ることとが違うように異なっている。ちょうど知ることが、考えることとは反対に認識という目標と認識という課題を持つように、処理することも特殊な目標を持っており、それを達成するためには特殊な基準によって支配されざるをえないのに対して、行動することは、たとえ達成されるべきものが存在しなくても、人類が共存しているところではどこにでも生ずる。処理することや生産することはすべて必然的に目的−手段の範疇に拘束されるが、この範疇も行動することに適用される場合には、つねに破壊的であることが判明するであろう。処理することは、生産することと同様に、「行動」の主体が獲得されるべき目標と生産されるべき対象とを十分に知っているという前提から出発しており、したがって唯一の問題はそれらの目標を達成するのに適した手段を発見することである。こうした前提は、帰するところ、単一の意思しか存在しない世界、あるいはそのなかのあらゆる行動的自我主体が相互に孤立しており、そのためそれらの目的や目標相互間に抵触が生じないようにしつらえられた世界を前提としている。行動については、正反対のことがあてはまる。そこには、交差しあい抵触しあう無限の意図と目的が存在しており、その複雑な無限性においてはすべてを一挙にとり出すならば、それは各人がかれの行動を投げ入れなければならない世界を意味するであろう。ただこの世界においては、如何なる目的も如何なる意図も、それが最初に意図されたままの形で達成されることはないのである。こうした記述でさえも、またあらゆる行為に必然的に伴う挫折の可能性とか、行動の表面的空虚さといった説明でさえも不適当であり、誤解に導く恐れがある。というのは、それは実際には処理するという観点から考えられており、したがって目的−手段の範疇によっていることを意味しているからである。(略)行動している人間は誰も、かれが何を処理しているのかを知らない。かれはそれを知りえないのであり、また人間の自由のゆえに知ることを許されないのである。自由は人間の行動の絶対的な予測不可能性に依拠しているからである。(略)悪しき目的のためになされるあらゆる善き行動は、実際には世界に善の一片を付加するであろうし、善き目的のためになされるあらゆる悪しき行動は、実際には世界に悪の一片を追加するであろう、と[いうことができよう]。言い換えれば、処理することや生産することにとっては、目的が全面的に手段を支配しているのに対して、行動することにとってはちょうど逆のことがあてはまる。すなわち、そこでは手段がつねに決定的な因子なのである(pp.227-228)。

*1:これらはそれぞれ「行動すること」と「処理すること」として訳し分けられている。日本語訳を読んでいてもどかしいのは、例えばその区別の直前に出てくる「行為」という言葉との関係がわからないといったことだ。