タレ

 By 「ひゃく」さん


「タレ」

 そもそもは、醤油が普及する前に使われていた液体調味料「垂味噌」(たれみそ)のことでした。
 味噌を三倍量ほどの水で溶いてよく揉み、煮立てたものを布袋で漉す。ドリップコーヒーのように、ポタリポタリ垂れてくるのを樽で受ける。これが「タレ」だったのです。

 江戸では徳川八代将軍吉宗の時代になって、常陸国の土浦(老中・土屋相模守政直の領土)に醸造所を持ち、日本橋に問屋をもっていた大国屋が「亀甲大」ブランドの醤油をだし、大ヒット。これをきっかけに、地回りの(江戸近郊で醸造された)醤油が普及し、関西からの下り醤油を駆逐するまでになりました。
鬼平犯科帳」のヒーロー・長谷川平蔵が活躍する時代になると、醤油は庶民の日常の食生活にまで定着し、江戸では「タレ」は死語となってしまいました。「タレ」といっても通じなかったというくらいです。

 明治になって、庄内・仙台地方に残っていた「タレ」が東京に移入され、焼きものを焼くとき使うつけ汁(醤油+味醂)を称して「タレ」というようになりました。幕末には「鰻屋の醤油」と称していたものが。焼くときに赤くおきた炭の上にポタリ落ちて、ジュー、というこよからか。
 
 ともかく明治から昭和40年以前は「タレ」といえば焼きものに使うものでした。
 ところが韓国風焼肉店が現れて焼肉のつけ汁にも「タレ」が使われ、同じころ新たに出現した「しゃぶしゃぶ」のつけ汁まで「タレ」と呼ぶようになりました。

 近頃では蕎麦の汁(つゆ)までタレと… ← おいおい、やめてくれよ。 
http://mixi.jp/view_bbs.pl?page=18&comm_id=8873&id=2108641

 勉強になったので、メモ代わりに引用させていただきました。