GSR

 7月16日は、現代社会理論研究会@武蔵大学へ行く。
 昼食を食べる暇がなかったので、江古田駅前のマクドナルドでチーズ・バーガーを買って、武蔵大の構内に入ると、尾形君から声をかけられ、研究会は2時からだって。会議が長引いているので、1時間遅れということだ。
 既にhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20050706で掲げておいたが、プログラムは、


日時:7月16日(土) 13:00〜18:00
会場:武蔵大学 教授研究棟2階02−E会議室

(1)大会

報告者および報告題目

今井隆太(名古屋大学大学院)
 新明正道の形式社会学批判―日本社会学史研究と現代性の追求―

古谷公彦((財)政治経済研究所 大島社会・文化研究所)
 「心理学主義」と社会学

徳久美生子(名古屋大学大学院)
 G. H. ミードの「マインド」論―社会生成論としての再構成―

郭基煥(愛知大学非常勤講師)
 苦痛の越境の可能性―レヴィナスイリヤ概念を中心に―

(2)総会
(3)懇親会

である。実際には、上記より1時間ずれて始まったわけだが、途中で時間をどうやりくりしたのか、終了は19時ではなく、18時30分ちょっと前。また、殆どの報告が前以て予告されていたタイトル(つまり上に引用したもの)から変更されていた。改めてタイトルを書き出すと、

今井隆太
 新明正道と形式社会学―日本社会学史研究と現代性の追求―
古谷公彦
 「心理学主義」と社会学
徳久美生子
 G. H. ミードの「マインド」論―社会の生成を問うことの意味と意義―
郭基煥
 回帰する過去と回帰しない過去―在日が在日に向かって語るとき―
ということになる。
 以下、各報告に触発されたことども、或いは私が発言した内容を思い出しながら、記していこうと思う。
 今井報告を聴いて興味深かったのは、(これはレジュメには出ていないが)新明の『形式社会学論』の初版で「人間関係」とされている箇所が晩年の著作集に収録された際には、全て「相互作用」へと改められているということである。「人間関係」と「相互作用」を比べれば、後者の方が抽象度が上であるわけで、(「形式社会学」といいながらも)実は若き新明は十分に〈形式的〉ではなかったことになる。
 古谷報告については、「心理学主義」という場合、レヴェルを異にする2つの側面があるが、報告ではそれらの区別が不明瞭であるように思えた。2つの側面とは、a)社会科学方法論としての「心理学主義」、b)人々の振る舞いが個人的或いは集合的な〈心理〉へと還元されて、理解或いは説明されるような社会、換言すれば、〈心理学〉の信憑性が高いような社会、さらにはそのような理解を前提として社会統制が行われる社会ということになる。勿論、この2つは全く別個のものというわけではない。報告では、森真一『自己コントロールの檻』が論評される。森の書物は(私の理解では)「心理学主義」の後者の側面に関わるものである。しかし、報告者の論評の仕方は森が〈心理学〉を適切に使用していないということに傾いている。例えば、言及対象が(アカデミックな心理学ではなくて)「通俗的心理学」であるとか。とはいっても、後者の側面が無視されているわけでもない。例えば、森の(デュルケム、ゴッフマンを踏まえた)「人格崇拝」説批判であるとか。というわけで、報告の焦点がかなり曖昧になっていたのではないかと思われる。2つの側面はレヴェルは異にするが、全く切り離されてはいないし、切り離すべきでもない。2つを結ぶために必要なのは、〈心理学〉或いは「心理学主義」的な社会科学の言説が「心理学主義」的な社会の構成と、促進的であれ抑止的であれ、どのような関係を結んでいるのかを問うことではなかろうか。
 徳久報告は、或る意味では(古谷報告で捨象されていた)「心」が不可視ではあるが〈実在〉として(私たちの「心」にとって)存立することを問うているといえるのかも知れない*1。報告者が提示したミードの「マインド」論でとりわけ興味深かったのは、「ミードは、個人がマインドを認識するのは、彼が進行中の行為に含まれている自身の姿を参照する、行為の一過程であると想定しているのである」(p.2)ということである*2。また、この認識は行為の遅延に関係している。この遅延による隙間によって、「ミードがリアリティの位座であると論じた現在という時・空間」(p.4)に〈過去〉が侵入するのである。また、「マインド」の「創発」は、(報告者が援用するC.H. Changによれば、「新奇的で再生産的」である(p.2)。こうした議論をデリダ的な議論に接続することは十分可能だろう*3
 最後の郭報告によれば、これまで「在日」は「時間が経つほどに帰路がふさがれていく状態の中で、開かぬ扉の前で、その向こうに住まう人に向けて、扉を開けよと主張し続ける「訪問者」だった」(p.1)という。「扉」の「向こうに住まう人」とは「日本人」である*4。しかしながら、報告者は「自らの状況を改善するために日本人に向けてなされた語りの諸努力そのものが、克服されるべき状況を再帰的に構成している、という側面」(ibid.)を問題にする。例えば、「在日」=「他者としての日本の歴史によって生み出された被害者とするような表象」。これによって、「在日」は「歴史の「客体」」と化してしまう危険がある。また、

 在日問題をめぐる語りの宛先を日本人にし、そうした語りの構造を暗黙のうちに前提として思考するとき、殊に語り、思考する者が在日であれば、語り、思考する在日は、他の在日を自分の背後に負うような「代弁者」となってしまう。そしてまさにそのとき「代弁者」以外の他の在日は客体化されてしまう(p.3)。
という問題がある。そこで、報告者が提案するのは、「扉の向こうに向かって語るのではなく、扉からいったん背を向け、在日に向かって在日の問題を語るような方法」(p.2)である。曰く、

在日が在日に向かって語ることによって、語りの場を作ること。その場の中で在日問題を語ること。言い換えれば、一度、日本人問題として突きつけた在日問題を自らの問題として再び引き受けること。(略)そのとき扉は、在日が中に入るために開けなければならない扉ではなく、日本人が在日の語りを聞くために開けなければならない扉に変わるのではないか。日本人をむしろ「観客」とするようなやり方が、ありうるのではないだろうか(pp.2-3)。
「一度、日本人問題として突きつけた在日問題を自らの問題として再び引き受けること」、これは「日本人という他者が引き起こした/起こし続けている問題を、在日がなぜ克服し得なかったのか」と問うこと、「他人が引き起こした問題を私のほうで引き受ける」こと(p.3)である。そのような「法外な引責を行う」ことによって、「在日は、語られる客体であると同時に、語りかけられ、したがって語り返す存在として、主体の位置を占めることができる」(p.3)。
 しかし、報告者によれば、ここには「二重の危険」がある。1つは「日本人に自己の有責性に対する免罪符を与えやすい」ということ(p.4)、もう一つは「在日の「エスノセントリズム」」を「促進する議論になりやすい」ことである。では、「在日」の「他に開かれた自律性」は如何にして可能になるのか。そこで報告者が目を向けるのは、「自らの意志によって想起するではなく(ssic)、つまりは想起しようと思って思い出されるのではなく、自らの意志に反して受動的につきまとってくるような【(自己と他者の)過去の苦痛と死の現れ方】」である。それには、2つの側面がある。先ずは「過去の苦痛と同じ種類の苦痛を経験するのではないか」という「恐怖」、つまり「過去が回帰してくるのではないか、という恐怖」。もう1つは、「過去の死と苦痛と死に対して(sic)自分が何もすることができないという絶望」、「受難の現在からの途方もない遠さ」である。特に後者を痛感すること。曰く、

 受難の遠さの感受、受難に対してできることがあまりに少ないことの感受、受難が決定的に過ぎ去ってしまったことに対する悲痛は、ときに私の現在の生に対する正当性の感覚を奪うことだろう。彼女/彼は死に、私は生きている。そうした感覚の鋭さは、自分の生をはなはだしくは不当な特権として位置づけさせる傾向を帯びるだろう。そしてその感覚は、自己の苦痛を苦しむこと、受難が現在の私に回帰することへの恐怖に磔にされていることを許さず、むしろ私と同じ時を生きる他者の苦痛を苦しむことへ私を促すことにもなるだろう(pp.4-5)。
また、

受難が遠すぎることへの哀しみは、原理上、永遠に終わらない。何事かの行為によって終結するものではない。それは原理的には決して自己にも、そして閉じた共同体にもやすらうことがないのだ(p.5)。
 特に、「日本人」と名指される人にとっては重い提起とも言える。
 私の発言は大まかに次の2点である。
 1つは、「在日が在日に向かって語ること」というのは、「日本人をそのことばに対して応答する主体としての位置からいったん排除する」(p.3)という意味よりは寧ろ、「在日が在日に向かって語ること」によって、「在日」のに距離を創出し、そのことによって(アレント的な意味での)〈公共性〉を開くという意味があるのではないかということ*5
 もう1つは、アレントによれば、compassionはそれ自体としては公共性を開けない。compassionは他者の苦痛に直面して、凍り付き・沈黙することだからだ(cf.『革命について』)。公共性を開くのは、「原理」に基づく「連帯」である。「原理」を抜きに「苦痛の連帯」は可能かということである。報告者は、過去の苦痛への無力が現在(或いは未来)の別の場所・別の人の苦痛への連帯を導くと応答した。たしかに「受難が遠すぎることへの哀しみ」は、その人々を〈被害者〉というポジションから(いわば無理矢理に)解放する。しかし、それはcompassionの条件ということではないのか。compassiionには〈無能的力量〉がある。例えば〈証言者〉としての。しかし、「連帯」は、〈共に−行為すること〉或いは〈共に−闘うこと〉に関わっている。〈共に〉を可能にするための媒介としての「原理」が見出されなければならない(或いは発明されなければならない)。如何にして?その答えを今提示することができないが、多分「間に距離を創出し、そのことによって〈公共性〉を開く」ということに回帰するのではないかと思われるのだ。また、このことは西原和久氏が提起した「苦痛」だけでなく〈よろこび〉の連帯ということと、実はかなり密接に関連しているのではないかと(今にして)思う。

 夜は「鳥忠」で懇親会。8畳ほどの座敷に14人が押し込まれたので、身動きが取れなくて困った。そういえば、今回のGSR、常連者の欠席もかなりあったので、もしその人たちが出席していたら、どうなっていたのだろうか。「お志ど里」での2次会の後、帰宅したら、次の日の1時。


7月17日は散歩がてら、近所のブック・オフともう1軒古本屋を覗いてみる。収穫物のうちには、

 つげ義春石井輝男つげ義春ワールド ゲンセンカン主人』ワイズ出版、1993

 上々颱風森口秀志上々颱風主義』晶文社、1994

があり。『つげ義春ワールド ゲンセンカン主人』は映画『ゲンセンカン主人』のメイキング物で、原作となった漫画4篇、つげ義春による「ロケ見物日記」、映画のシナリオ(決定稿)などを収録。他には、先日『偽満州国論』を取り上げた武田徹の『948歩目のトレンドウォーク』(主婦の友社、1989)など。何れも、1冊\100。


 また、『フィガロ・ジャポン・ヴォヤージュ 上海』を買う。

 

*1:取り敢えず、私たちが普通日本語でいうところの「心」とミード用語のmind(「マインド」)を等価なものと考えることは許されるだろう。報告者も1箇所(p.2)、そのような等値を行っている。

*2:報告者の再構成に従う限り、「マインド」は「マインド」の「認識」を離れては存立しない。

*3:私はベンヤミンデリダ的な〈翻訳〉論が思い浮かんだが、これは些か発作的なことだったので、今根拠を示せと言われても、困る。

*4:これは〈属人主義〉を前提とした言い方であり、〈属地主義〉的に〈日本〉という場所で生活している者は、その出自を問わず〈日本人〉であるという言い方は当然可能だろう。

*5:これについては、矢野久美子『ハンナ・アーレント、あるいは政治的思考の場所』みすず書房を参照のこと。この本について関して、私は書評論文「思考の場所としてのテクストを読むこと」(『年報社会科学基礎論研究』2)を書いている。