粛々/相撲とイエ制度その他

 既に、先月末のことではあるけど、川瀬貴也さんが、


郵政民営化については、僕はよく知らないから発言はしない。こちらでも、一部の人からは首相の「頑迷さ」が指摘されているが、今我々が戴いている首相は、どうも「人の話を聞かないこと」をそのまま「信念の強さ」と勘違いしている人のようだ。言うまでもないことだが、世の独裁者や戦争指導者は、人が呆れかえるほどの「強い信念の持ち主」だった。
と書いていた。これに関係するかとは思うけれど、藤原書店のPR雑誌『機』161のコラム(p.23)で、中国文学者の一海知義氏が「最近、といってももうかなり前からだが、政府与党の政治家たちが」「粛々」という言葉を「愛用している」ことについて書いている。例えば、「いろいろと問題はあろうが、この法案は粛々と通していただかねばなりません」とか。この「粛々」という言葉から連想するのは、一海氏も指摘するとおり、川中島の合戦を詠じた頼山陽の「鞭声粛々 夜 河を過る」という詩句だろう。「粛々」には『広辞苑』では、

1つつしむさま
2静かにひっそりしたさま
3ひきしまったさま
4おごそかなさま
という語義が挙げられているという。一海氏によれば、『詩経』には「疾かなさま」でも用いられているという。
 さて、政治家愛用の「粛々」は?
 一海氏は、「反対なしの「静かにひっそりした」環境で」だろうという。「問答無用、対話無視」。「法案も、討論無用、疾かに通せ、ということか」。何しろ、山陽の「鞭声粛々」とは、上杉軍が武田軍に「闇討ち」をかけるさまなのである。


 2005年6月の日本における最大のニュースというのは、放送時間とかでカウントすれば、〈爆弾〉を教室に投げた山口県の高校生とか両親を殺して草津温泉に行った東京の高校生などを押しのけて、若貴の兄弟確執だろう。この騒動で感じたことの一つは、TVのワイド・ショウとかの言説が、騒動を核家族或いは(嫁姑問題が絡む)直系家族の争いとして語っていたことだ。そんなの当たり前だろうといわれるかもしれない。しかし、相撲の世界というのは、そもそも核家族乃至は直系家族としての部屋の集合体としてあるのではない。二所ノ関とか出羽海といった特定の部屋を本家とするイエ(一門)から形成される社会だったといっていいだろう。しかしながら、今回の騒動では、「一門」については語られないし、「一門」として発言する親方衆もいなかった。そもそも二子山というのは、二所ノ関一門の分家にすぎなかった筈である。分家のゴタゴタなど、本家が、或いは一門の長老衆が上手く取りはからうというのがイエ制度の流儀ではないのだろうか。或るワイド・ショウでは、「一門」について、〈自民党の派閥〉に喩えて説明していた。現代の視聴者にとっては、イエ制度などよりも〈自民党の派閥〉の方がよっぱどリアリティがあるということになる。ということで、二子山親方の死去に端を発する今回の騒動で再確認したのは、中世に確立され、戦後の新民法で公的な制度としては終わり、〈封建遺制〉ということになったイエ制度が、客観的な制度としても主観的なリアリティとしても、終わっているということだった。そういえば、貴ノ花親方は〈一代年寄〉だけれど、この一代年寄というのは、男女の結婚によって創設され、どちらかの配偶者の死去によって消滅する〈近代家族〉と同型である。


 6月28日、『現代思想』7月号(特集「イメージ発生の科学 脳と創造性」)を買う。


 6月29日早朝、NHK BS2で、小栗康平監督の『伽〓子のために』を観る。
 たしか、これは南果歩のデビュー作だったと思う。
 感想を一言でいうと、〈映画に入り込むのが難しい映画〉ということになる。勿論、共感できないという意味ではない。それに、〈入り込むのが難しい〉のは観ている私だけではないようなのだ。登場人物たち、特に主役の呉昇一と南果歩は、その存在を風景(北海道にせよ東京山の手の住宅街にせよ在日朝鮮人集落にせよ)にフィットさせていない。風景から浮き上がって、風景にとって〈よそよそしい〉存在になっている(風景が、では断じてない!)*1。また、映画を撮る側、小栗監督、或いは端的にカメラ・アイも、腰が引けているというか、風景に入り込むことができずにいる。あたかも、風景にフィットすることを拒まれた主役たちに戸惑うかのように。何故、フィットしないのかといえば、それは居場所として確立しないからだ。どこにも落ち着くことができない。また、風景に参入せずに、第三者的な視点で観察(鑑賞)し続けるということもない。というよりは、そのような贅沢(観光客のような、或いは学者のような)は許されず、生きるためには、風景に巻き込まれざるを得ないが、十全に巻き込まれることは拒まれる。この本来十全に居座ってしかるべき風景に居座れないことから、押し出されるように、(風景化されないという意味で)〈幻〉の〈祖国〉が現れてくる。主役たちは、その〈祖国〉への〈帰国〉を夢見るのだ。物語は1950年代後半。登場人物たちは、映画が終わった後の時間の流れの中で、安んじてそこに自らをフィットさせることができるような居場所を見出したのだろうか。〈祖国〉にせよ日本にせよ。

*1:唯一、主役たちが、大沼でボートに乗って漕ぎ出すシーンでは、主役たちもカメラ・アイも観る私も、宙づり状態から解放されて、風景との幸福な一体感を享受できる。