夕方

2019年12月12日。



習志野市藤崎6丁目*1

三月書房

京都ではジュンク堂の閉店に衝撃が走ったばかりだったけれど*1
朝日新聞』の記事;


京都の名物書店、三月書房が閉店へ 吉本隆明さんら通う
小林正典

2020年2月17日 9時53分


 人文・社会科学の新刊本を中心に、独自の品ぞろえで知られる京都の名物書店「三月書房」(京都市中京区)が、5月の連休明けにも店頭販売を終える。オンラインでの通信販売も年内をめどにやめ、70年の歴史に幕を閉じる予定だ。

 三月書房は1950年に開業。活字離れやネット書店の波が押し寄せるなか、ベストセラーなどを扱う大型書店とは違い、独自の目線で思想書や歌集などを取りそろえているのが特徴だ。「編集工房ノア」や「編集グループSURE」といった関西に拠点を置く出版社や、他店ではあまり見かけない出版社などの本も多い。作家・仏文学者で元京都大教授の山田稔さんの著書の豊富さには特に定評があった。

 思想家吉本隆明さんや歌人河野裕子さんら文化人も多く訪れた。同じ寺町通沿いには、梶井基次郎の小説「檸檬(れもん)」で主人公がレモンを買った店のモデルになった「八百卯(やおう)」(2009年に閉店)などもあり、京都の知的風土を象徴していた。

 3代目店主の宍戸立夫さん(70)は16日、取材に応じ「高齢化し、後継者がいない」ために閉店を決めたと説明。段階的に営業時間を短くしていくと語った。(小林正典)
https://www.asahi.com/articles/ASN2K3474N2JPLZB005.html

檸檬 (新潮文庫)

檸檬 (新潮文庫)

  • 作者:梶井 基次郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2003/10
  • メディア: 文庫
編集工房ノア」という出版社名が出てきて、鶴見俊輔の本(『家の中の広場』)を思い出してしまった*2。ところで、吉本隆明は京都で何をしていたのだろうか。京都について何か書いている?
家の中の広場 (1982年)

家の中の広場 (1982年)

Minagawa talks

昨日まで開催されていた『ミナ ペルホネン/皆川明 つづく』*1は11月に観ているのだけれど。


阿久根佐和子「皆川明さん「 いつまでも想像が止まらない気がしています」」https://www.asahi.com/and_w/20200207/1223861/


皆川明*2へのインタヴュー。
少し切り抜き。


―― 展示は、「種」「森」「風」「根」など自然のエレメントの名前のついた8つの部屋に分かれている。それぞれに、ブランドや皆川さんの個性が発揮されていました。仔細に拝見していくと、皆川さんの中に、優しさと厳しさ、大らかさと細やかさ……という相反する個性があることを発見できました。


皆川 おっしゃる通り、僕自身の性格はカオスです(笑)。周囲が理解できないほど細かいことにこだわるかと思えば全く感知しない領域もありますし。自分でも自分がどういう人間か理解できない部分もあって、それに付き合う人たちの苦労をはかることもできません(笑)。

「種」の部屋にもあるのですが、四角い枠のなかにいくつものドットが並ぶミナ ペルホネンのロゴは、さまざまな個性の集合が一人の人をつくるという意味合いを込めています。極端さの度合いはさておき、誰しもアンビバレントな面を持っていて、その時、その環境に合った「自分」が出てくるものだと思うんです。個性や性格って相対的なもの。そのひとつが僕たちのモノづくりに共感してくれるといいなと思っているんです。


―― 本展には、新聞の連載の挿画など、皆川さん個人名義での作品も展示されています。チームとしての創作と個人での創作に違いはありますか。


皆川 “潜り方”が明らかに違いますね。チームの場合は、周囲の様子を伺いながら自分がやるべきことをやる。一方、たとえば自分で絵を描く場合には、ただ自分が自分の頭の中に入ってしまえばいい。目の前の現実世界がなくなって、そこに入り込む感じです。だから、展示している連載の挿画なども、どうやって描いたかうろ覚えのことがほとんどです。


―― &wの読者のなかにも、「ミナ ペルホネン」の服に憧れを持ち、考え抜いて買った服を大切に着ている、という人がたくさんいるはずです。生地から丁寧につくられる「ミナ ペルホネン」は、ものに愛着を持つことの真の意味を教えてくれる。ものを大切に使っていくそのような方向性は、皆川さんが昔から持たれていたものですか?


皆川 僕が20代を過ごしている頃はバブル期でブランドを始める頃にはバブルが崩壊し、世界は不景気の真っ最中。その時に僕は、何かを変えるとてもいいチャンスだとも思ったんです。ものづくりのやり方も、使う側の考え方も変わることができるんじゃないかと。

こういう時代にファッションブランドを立ち上げるからには、そのタイミングでやるべきことをやりたいと考えました。その時点で「せめて100年つづくブランドに」という思いを持っていたのですが、100年後の未来が見えていたわけでは決してなくて。こうあるべきだという理想像はあるけれど、そこに至るにはとても僕の持ち時間では足りそうもない。だから次の人、その次の人に託したいという気持ちですね。


―― 「ミナ ペルホネン」のものづくりも皆川さんご自身の創作も、有機的で自然をモチーフにとったものがとても多いと感じます。それらを生み出す皆川さんの原風景とはどんなものですか?


皆川 僕の生まれ育ちは京浜工業地帯の蒲田。自然とは程遠い環境なんです(笑)。でも、だからこそいつまでも想像が止まらない気もしています。幼い頃の記憶のなかに自然の姿があれば、そこを描くようになるかもしれないけれど、僕の場合はそれがないから、空想が生まれやすいのかもしれません。自然に憧れているというのでもなくて、頭のなかにその世界ができてからは、そこへ行けば自分だけの自然があるという感じです。

「シェルハウス」について;

―― 本展では、皆川さんのアイデアをもとに中村好文さんが設計された“簡素で心地よい宿”のプロトタイプ、「シェルハウス」も展示されていました。プランがフィボナッチ数列の図形がベースになっている一軒家、ありそうでないアイデアでした。ブランドの25周年を目前に、皆川さんと「ミナ ペルホネン」は、さらにその先へどのように進んでいかれるのでしょうか?


皆川 「シェルハウス」は柱のない構造体で、巻貝状に外壁がそのまま内壁になっていく。既存の方法では構造計算ができないらしいのですが、構造体としての完璧さはすでに自然界でわかっていること。単に今までこういう建築がほとんどなかったということでしょうか。

今後も建築をやりたい、家具をつくりたい、というのとは違って、実はつくるものはお菓子だって建築だっていいんです。そのジャンルで今までにはほとんどなかったけれど、整合性はあるアプローチを探し出し、ものをつくっていくことが楽しい。これからもそれは変わらないと思います。

早合点(閲覧注意)

暖気に誘われ、春が来たと勘違いして、冬眠から目覚め、ふらふら歩いているうちに、自動車に轢かれてしまったのか。習志野市藤崎6丁目*1

「偶然」と「必然」

千葉雅也氏*1曰く、


たしかに、例えば推理小説(探偵小説)というのは、一般に偶然(のように見えるもの)から必然(正解)を構築し、最初偶然に見えたモノやコトを必然(正解)のためのエヴィデンスとして包摂する。探偵が介入すればするほど、推理すれば推理するほど、偶然性の迷宮に陥っていくというストーリーがあったら、それは推理小説(探偵小説)といえるのだろうか。「純文学」が安易な「必然」を拒絶するというのはその通りだとしても*2、それは「偶然」の称揚になるのだろうか。そうではないだろう。「偶然」というのは「必然」との対立において意味を持つものにすぎないからだ。だから、「純文学」で目指されるのは、「必然」でも「偶然」でもなく、「必然」と「偶然」が分岐する以前、モノやコト(出来事)が端的に存在したり生起したりすることなのではないだろうか。世界は条理でも不条理でもなく端的に存在すると言ったのは誰だったっけ?
小説を読んで、(私の語彙があまりに欠如しているせいで)言葉でよく表現できないのだけど、ああ小説を読んだな! という満足感を味わうことがときどきはある。別に、道徳的な指針を得たり、知識が増えたりして賢くなったと感じるわけでもない。また、修辞などの言葉のワザを凄いと思うわけでもない。この感動は、「必然」に還元されることなく、またあからさまに「偶然」を誇ることもなく、確かさを以て、モノやコトが存在したり・生起したりすることを見届けたことの満足に由来するものだ、と勝手に思っておくことにしよう。
そのような意味で感動した小説を挙げると、例えば小山田浩子「いたちなく」(in『穴』)*3、また今村夏子の「おばあちゃんの家」と「森の兄妹」(in 『あひる』)ということになる。
穴 (新潮文庫)

穴 (新潮文庫)

  • 作者:小山田 浩子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/07/28
  • メディア: 文庫
あひる (角川文庫)

あひる (角川文庫)

「意心帰」


安田侃*1「意心帰」。東京ミッドタウン*2。素材は大理石。