梅宮辰夫

『AbemaTIMES』曰く、


俳優・梅宮辰夫さん死去 6度のがんを経験し、慢性じん不全のため
12/12(木) 8:22配信AbemaTIMES


 俳優の梅宮辰夫さん(81歳)*1がけさ7時40分、神奈川県内の病院で慢性じん不全のため亡くなった。梅宮さんは去年9月に前立腺がん、今年1月に尿管がんの手術を受けていた。

 梅宮さんは2016年に十二指腸乳頭がんを患い、これまでに6度のがんを経験したことを長女のアンナさんが明かしていた。

 梅宮さんは東映ニューフェイスとしてデビューし、俳優やタレントとして活躍。また実業家や料理家としても知られていた。(AbemaTV/AbemaNEWS
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191212-00010001-abema-ent

NHKの報道;

俳優の梅宮辰夫さん死去 81歳
2019年12月12日 8時32分


映画「仁義なき戦い」などに出演した俳優で、バラエティー番組などでも人気を集めた俳優の梅宮辰夫さんが12日朝、慢性腎不全のため亡くなりました。81歳でした。

梅宮さんは旧満州、今の中国東北部の出身で、大学在学中に東映ニューフェイスに合格し、昭和34年にデビューしました。

その後、アクション俳優として長年にわたって活躍し、映画「不良番長」シリーズや「仁義なき戦い」などに出演して、渋みのある演技で人気を集めました。

また、趣味の釣りや料理をいかして数多くのバラエティー番組などにも出演したほか、実業家としても漬け物のチェーン店を展開し、マルチな才能を発揮しました。

梅宮さんは、平成28年6月に十二指腸乳頭部がんであることが分かり、9月には娘のアンナさんが会見して「とにかく元気だから騒がないでくれ」という梅宮さんのコメントを出していました。

その後もドラマの撮影に臨むなど元気な姿を見せていましたが、前立腺がんや尿管がんの手術を受けたほか、人工透析をしていることを明らかにしていました。

所属事務所によりますと、がんの手術は6回に及んだということです。

梅宮さんは12日朝7時40分、神奈川県内の病院で慢性腎不全のため亡くなったということです。81歳でした。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191212/k10012211981000.html

仁義なき戦い』のうち、梅宮さんが出たのは、第1作目と『代理戦争』と『頂上作戦』。役者キャリアの前半と後半。その後半への転換点となったのが、『前略おふくろ様』*2だっただろうか。1980年代以降になると、漬物屋の経営者、梅宮アンナのパパというイメージが強くなるのだが、ネット上では、1980年代の『スクール☆ウォーズ』に言及している人がいたので、軽く驚いた。梅宮さんが脇役で参加した映画の数は膨大なのだが、あの森崎東『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』*3に出ていることは特記しておく。
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  • 発売日: 2001/08/10
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  • 出版社/メーカー: TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
  • 発売日: 2012/01/21
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「彼氏に成りすまして」ない?

『日刊スポーツ』の記事;


彼氏に成りすまして太もも触る「エッチできるかと」
12/11(水) 19:23配信日刊スポーツ


拾ったスマホの所有者男性に成り済まし、男性の交際相手の少女を誘い出し、太ももを触るなどしたとして、大阪府警は11日、わいせつ目的誘拐などの疑いで大阪府大東市、解体工前田善広(42)を逮捕した。

前田容疑者は9日、大阪市内のコンビニのトイレで20代男性のスマホを拾い、10日にかけて、男性を装ってSNS(会員制交流サイト)で10代後半の女性(アルバイト店員)を自宅へ呼び出し、交際男性の友人だなどと偽って自宅内に誘い込んだという。捜査関係者によると「わいせつな行為がしたかった。エッチとか、できるかなと思った。少女の太ももを触った」などと供述し、容疑を認めているという。前田容疑者の自宅から脱出した少女が友人に相談し、友人が警察に110番通報して発覚した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191211-12110794-nksports-soci

人間関係(の認識)がちょっと混乱。「スマホの所有者男性」の彼女が被害者であるわけですよね。しかし、犯人は「交際男性の友人」を自称した。被害者の視点で考えると、彼氏のアカウントで知らない男からメッセージが来た。彼氏の友人だという。記事では省略されている色々な言い訳があって、その自宅に辿り着いたら、いきなり中年のオヤジに襲われたということ? 重要なことは、電話(声)ではなく文字だけのやり取りということなのだろうか?
ところで、どのメディアでもSNSのことを「会員制交流サイト」*1と説明している。いったい誰が決めたのか? また、SNSといってもフェイスブックなのかツィッターなのかインスタグラムなのかは明かされていないのだけど、「会員制交流サイト」という言葉から最もスムーズに連想されるのは、今言ったようなSNSではなく、かなり以前のMixiなのだった。

賛同しました!

以下のキャンペーンに賛同しました。


Taniguchi Ayumi「生理用品を軽減税率対象にしてください!」https://www.change.org/p/%E7%A8%8E%E5%88%B6%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E4%BC%9A-%E7%94%9F%E7%90%86%E7%94%A8%E5%93%81%E3%82%92%E8%BB%BD%E6%B8%9B%E7%A8%8E%E7%8E%87%E5%AF%BE%E8%B1%A1%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84


12歳で初潮を迎え、50歳で閉経するまでに毎月5日間生理があると仮定した場合、月経のある人は一生涯で456回、2,280日間(およそ6年半)も月経を経験することになります。毎月の生理で使う生理用品代を1,000円だとすると、負担は一生涯で「45万円以上」にものぼります。これは生理用ショーツ、痛み止め、ピルなど月経に必要なその他のものを除いた額です。生涯45万円も負担する生理用品に、さらに日本では現在10%の税金がかけられています。生理のある人は、ない人に比べ、生涯で50万円近くも多くの負担を強いられているのです。

ただでさえ大きな負担であるにも関わらず、特にシングルペアレントで生活していくのが大変な人、お金のない学生、ホームレスの人などにとっては耐え難い負担になっています。現在軽減税率対象の定期購読新聞よりも生理用品の方が圧倒的に家計を圧迫しているはずです。私の周りでも、「頑張って稼いだアルバイト代が生理用品代に消えていくのが切ない」という声をよく聞きます。月経があるというだけで、毎月消費税が取られるのはおかしな話です。

現在、世界では生理用品にかけられる税、通称 tampon tax を撤廃する動きが広がっています。2004年にはケニアが、それに続いてカナダ、マレーシア、インド、オーストラリアなどが続々と生理用品を課税対象外にしています。これらの動きはたくさんの女性、そして女性以外の生理を経験する人の切実な声によって実現されています。私たちの声も社会を動かす力を持っているはずです!

生理用品は決して贅沢品ではありません。多くの人が社会で安心して学び、働き、生活し、自己実現するのに必要不可欠なものです。子宮を持って生まれただけでより多くの負担を強いられる社会は不平等です。

安倍政権は「すべての女性が輝く社会」を最重要課題の1つとしていますが、女性の生涯平均年収が男性の約70%である上に、生理用品の負担がのしかかっている現状では、女性は輝けません。月経の経済的負担を気にせず、生理中も快適に社会に出れることは、より多くの人が社会で活躍する上で必要不可欠です。真のジェンダー平等を達成する為にも、政府は生理用品への課税を、少なくとも軽減税率対象の8%に引き下げてください。

この活動はこれから子宮を持って産まれてくる全ての子どもたちの為です。食べたいものを我慢して生理用品を買っている人たちの為です。「生理用品が必要」と言い出せない人の為です。あなた、そしてあなたの身近な誰かの為の運動です。

See also


「軽減税率の対象外「トイレットペーパー・生理用品」の事実に女性が怒り爆発!」https://yukawanet.com/archives/keigen20190703.html *1
湊彬子「ニューヨーク市、タンポンとナプキンを生徒に無償提供 「生理じゃなくて授業に集中できるように…」」https://www.huffingtonpost.jp/entry/nyc_jp_5dae585ae4b08cfcc320de55 *2

告別されて

承前*1

毎日新聞』の記事;


中村哲さん合同葬「尊い犠牲、前を向いて進めと後押し」 多くの市民参列
12/11(水) 15:33配信毎日新聞


 アフガニスタン東部ナンガルハル州ジャララバード近郊で殺害された福岡市のNGOペシャワール会」現地代表、中村哲さん(73)の告別式が11日、福岡市中央区の葬儀場で営まれた。中村さんの家族とペシャワール会による合同葬で、喪主は長男健さん(36)。多数の関係者らが参列し、故人の志を引き継ぐことを誓った。献花では、中村さんが好きだったモーツァルトが流され、会場周辺には多くの市民が集まった。

 アフガニスタンで撮影された、穏やかな表情をたたえた中村さんの遺影が飾られた。葬儀委員長のペシャワール会の村上優会長(70)は「先生の尊い犠牲は、私たちに前を向いて進めと力を込めて後押しをしています。ペシャワール会は事業継続に全力を挙げ、会員や支援者の皆様とともにアフガニスタン、そして平和を望む世界の人々と事業の支援を続けます」と追悼の辞を読み上げた。

 健さんは「父から学んだことは、人の思いを大切にすること、物事において本当に必要なことを見極めること、そして必要なことは一生懸命行うということです。この先の人生において自分が幾つになっても父から学んだことをいつも心に残し、生きていきたいと思います」と会を通じてコメントを発表した。【杣谷健太】
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191211-00000047-mai-soci

See also


「惜別と意志継承を誓い涙…福岡で中村哲医師の合同葬始まる 各界から供花続々」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191211-00010010-nishinpc-soci
「「アフガン人みんな泣いています」駐日大使が嗚咽 中村哲さん告別式」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191211-00010013-nishinpc-soci&pos=4
中村健「中村哲さん合同葬「父から学んだことは、思いを大切にすること…」 長男健さんコメント全文」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191211-00000048-mai-soci

或るオリエンタリズム

狂うひと :「死の棘」の妻・島尾ミホ (新潮文庫)

狂うひと :「死の棘」の妻・島尾ミホ (新潮文庫)

  • 作者:梯 久美子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/08/28
  • メディア: 文庫

梯久美子『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ*1から。
島尾敏雄吉本隆明について。


吉本は島尾が作品を発表し始めた昭和二十年代から島尾文学を高く評価してきた。長年にわたって書き継いだ作家論、作品論をまとめた『島尾敏雄』(平成二年刊)という著作もある。島尾夫妻と浅からぬ交流があり、昭和二十九年十月と翌年二月、三月の三度、奥野健男とともに、当時、東京・小岩にあった島尾の住まいを訪ねている。島尾の情事を発端とする夫婦のすさまじい諍いがすでに始まっていたころだ。この二度目の訪問の際に吉本は島尾のファンの女性をともなっており、その人はのちに吉本の夫人となっている。
吉本はその後、島尾がミホに付き添って入院した国府台病院の精神科病棟にも奥野とともに見舞いに訪れている。また、昭和三十年十月十七日、夫妻が奄美大島へ発ったときに横浜港で見送った数少ない友人のひとりであった。このとき夫妻を見送った島尾の文学仲間にはほかに庄野潤三吉行淳之介阿川弘之奥野健男武井昭夫がいる。
吉本は、見送りの人たちが投げたテープ*2を島尾がうまくつかむことができないのを見て、テープを手に船腹をつたって甲板によじのぼった。(後略)(pp.19-20)

吉本は当初から(そしておそらく最後まで)島尾とその作品に対して深い敬慕の念を抱いていた。吉本は平成二十四(二〇一二)年三月十六日に死去したが*3、その前日に病室を見舞った評論家の芹沢俊介によれば、ベッドの傍らのテーブルに『死の棘』のフランス語訳の本が置かれていたという。
吉本には南島を論じた一連の著作がある。私は平成十四(二〇〇二)年から十七(二〇〇五)年にかけて吉本の著作三冊の聞書きを担当したが、あるとき日本文学でもっともすぐれた作家は誰だと思うかと尋ねると、島尾敏雄小島信夫という答えが返ってきた。即答であった。
私が島尾夫人であるミホに興味をもっていると話したところ、吉本は、すでに不自由になっていた足を引きずって書斎へ行き、『南島論』と題された単行本の分厚いゲラ(校正刷り)の束を手に戻ってきた。南島について書いたものをあらためて一冊にまとめる準備をしている最中だといい、「しばらくは手をつけませんから、よかったら持ち帰ってご覧ください」と言って貸してくれた。そこには「聖と俗――焼くや藻塩の」*4も収録されていた。
そのとき吉本は、自身の南島論には島尾ミホの存在に触発された部分があると話した。そして、「あの人は、普通の人には見えないものが見えるらしいですよ」といたずらっぽく言い、「いまのうちぜひ話を聞いておくといいと思います」と、奄美に行くことを勧めたのだった。(pp.21-22)
死の棘 (新潮文庫)

死の棘 (新潮文庫)

  • 作者:島尾 敏雄
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1981/01/27
  • メディア: 文庫
吉本隆明奥野健男による「南島」と「島尾ミホ」像の構築。
先ず参照されるのは、


奥野健男「『死の棘』論――極限状況と持続の文学――」『群像』1977年一月号
吉本隆明「〈家族〉」in 『吉本隆明著作集9――作家論III』、1975


である(pp.65-66)。


奥野と吉本はまったく同じ構図で〈島尾―加計呂麻島―ミホ〉の関係を規定している。海の向こうのヤマトから島を守りに来た「ニライカナイの神」(奥野)「ニライ神」(吉本)である島尾を、島を代表して「仕える」(奥野)「むかえる」(吉本)のがミホだというのだ。そして両者とも「巫女」ということを強調している。(p.66)

奥野と吉本はほかの著書でもミホを「南島の巫女」「古代人」などと規定しているが、彼女は代用教員とはいえ教師であり、東京の高等女学校で教育を受けた、当時としてはインテリに属する女性だった。高等女学校卒業後は、病気になって島に帰るまで、日本におけるキノコの人工栽培の基礎を築いた植物学者・北島君三博士の研究所で働いている。
ノロの家系に生まれたことは間違いないが、ノロ信仰は薩摩藩の時代に禁止されている。禁制下で祭祀を続けた集落もあり、大島本島の大熊地区、加計呂麻島の木慈、須子茂などでは戦後までノロが存在したが、ミホが育った集落では「どんなおもかげもとどめてはいませんでした」と本人が語っている(『脈』昭和六十二年「島尾敏雄の文学と生活」)。ノロを継ぐ家柄であったことを両親から教えられたことはなく、『死の棘』に描かれた時期をへて昭和三十年に奄美に帰ってきたあとで初めて知ったという。しかし「ミホ=巫女」というイメージは現在まで一人歩きし、平成二十四二〇一二)年七月刊行の『コレクション戦争と文学9 さまざまな8・15』(集英社刊、ミホの小説「御跡慕いて」を収録)のプロフィール欄には「巫女の後継者として育てられる」という一文がある。
信仰の面で言えば、ミホは幼児洗礼を受けたクリスチャンである。奄美では明治時代にカトリックが入ってきたとき、有力者および知識階級がまず信者となった歴史がある。ミホの母方は最初期に信者となった家のひとつで、ミホの実母も祖母も敬虔なクリスチャンだった。
確かにミホには一種独特の神秘的な雰囲気があり、夢で見たことが現実になったことが何度かあるという話を私も本人から直接聞いているが、それをもって巫女的な存在であるとみなすことはできないだろう。ノロの家系を強調することで、これまで生身のミホとかけ離れた人物像が形作られてきたことは否めない。
奥野はミホを「殆ど霊能者であり、自然そのままの古代人」(前出「『死の棘』論――極限状況と持続の文学――」)と書いているが、奄美ノロ制度は琉球王朝が甘味を支配するために整えた政治的な意味合いの強いもので、統治を宗教的な側面から支えるものだった。統治者の女性のきょうだいがノロの役割を担ったのである。大平家*5はもともと琉球からやってきたユカリッチュとよばれる支配階級であり、そのこととノロの家系であることは切り離すことができない。島尾が「官僚制がくっついているから民間のミコとちょっと違う」と、ほかならぬ奥野との対談(前出「離島の話」)で説明しているように、制度に組み込まれた存在であり、「霊能者」「古代人」という言葉から受けるイメージは実体とはずいぶん違っている。(pp.66-68)
「少女」というイメージ。

(前略)吉本はミホを「島の少女」と表現している。島尾と出会ったころのミホについて書いたほかの文章でも同様である。奥野もまた「島の長の娘の「カナ」と呼ばれる美しい少女の信頼と愛の中に、彼はのめり込む:(前出「『死の棘』論」)というように、ミホを「少女」としている。しかし島尾と出会った時のミホは満年齢で二十五歳である。もとより少女といえる歳ではなく、あの時代では婚期を過ぎた女性とみなされる年齢だろう。事実、戦後に二人が結婚しようとしたとき、島尾の父親が難色を示した理由のひとつは、ミホが歳をとり過ぎていることだった。それでも吉本と奥野の影響力は強く、その後の多くの評論家や研究者がミホを「少女」としてとらえることになる。それは『死の棘』の読み方にも大きく影響していく。
(略)昭和六十三(一九八八)年初版の講談社文芸文庫版『その夏の今は・夢の中の日常』の「作家案内」で、紅野敏郎が「(略)島の少女大平ミホとの恋愛、結婚を内側に深くかかえこんでものであった」と書いているし、近くは平成二十二(二〇一〇)年初版の講談社文芸文庫版『夢屑』の「解説」で、富岡幸一郎が「この少女とのひそかな恋愛は、八月十五日の終戦を経て結婚へと発展する」「特攻の島で出会った可憐な少女が、自らのせいで孤独と狂気へと駆られていった」などとしている。
それにしても、奥野も吉本も島尾と親しい間柄であり、ミホを直接知っているにもかかわらず、島尾と二歳しか違わない彼女を「少女」としているのはどうしたことか。
ひとつには、「少女」という言葉のもつ処女性や若さといったイメージが、かれらが強調したかった「巫女」につながるからだろう。もうひとつは、〈島を守りにきた神である島尾敏雄〉―〈守られる者としての島の人々〉―〈その代表としてのミホ〉という構図の中で、守られる者にふさわしいか弱さ、素朴さ、幼さを、少女という言葉を使うことでミホに付与したということではないだろうか。(pp.68-69)
そういえば、島尾敏雄がこの世を去るのと同時並行的にエドワード・サイードの『オリエンタリズム*6がブレイクしてきたのではなかったか。
Orientalism: Western Conceptions of the Orient (Penguin History)

Orientalism: Western Conceptions of the Orient (Penguin History)

  • 作者:Edward W. Said
  • 出版社/メーカー: Penguin Books Ltd
  • 発売日: 1995/02/23
  • メディア: ペーパーバック

非境界領域

所謂「反社」*1を巡って、三谷武司氏*2曰く、



なるほど。ただ、この例示、日本国内の米軍基地は日本の領土なのか米国の領土なのかという問題はありつつも、日米は国境を接していないので、「竹島」が日本なのか韓国なのかは争いの対象であるけれど、東京が日本でソウルが韓国だということは日本人にとっても韓国人にとっても自明な事実として通用している、或いは、「国後島」が日本なのか露西亜なのかは争いの対象であるけれど、札幌が日本でモスクワが露西亜だということは日本人にとっても露西亜人にとっても自明な事実として通用している、と言った方がわかりやすいかも。

ホモである「ホモ・サピエンス」

大澤真幸*1「随伴現象説を超えて」『本』(講談社)521、pp.54-61、2019


曰く、


ホモ・サピエンスは、地球上のほとんどあらゆるところに進出している。これほど多様な環境に分布している生物は、他にはない。驚くべきことは、それでもホモ・サピエンスが単一の種だということである。他の種の場合、以前とは大きく異なる環境への進出に成功するのは、しばしば、種そのものを分化させたときである。つまり別の種へと転換するほどの遺伝子レベルでの変化があったとき、極端に異なった環境に適応することができるようになるのだ。ところがホモ・サピエンスは、その誕生の地となったアフリカ*2を離れ、大きく異なった環境に入っても、他の種へと転換するほどの遺伝子レベルの変化を起こさずにすんだ。どうしてなのか。文化のレベルでの変化が、もしそれがなかったら必要だったかもしれない遺伝子レベルでの変化を補償したからだ。(p.58)

ホモ・サピエンスが種としての同一性を保ちながら、地上のほとんどあらゆるところに進出し、そこで暮らすことができるようになったのは、文化が遺伝子に促進的にも抑制的にも作用しつつ、遺伝子と共進化したからである。しばしば、文化のレベルでの発明や変容が、遺伝子の大きな変化を伴うことなく、サピエンスが多様な環境で生きることを可能にしたのである。サピエンスのほぼ地球の全体への拡散、この事実だけを見ても、遺伝子と文化の共進化が物理的現実に影響をもたらす出来事と見なくてはならないとわかる。(後略)(ibid.)
「遺伝子と文化の共進化」の例として言及されているのは、「肌の色のヴァリエーション」;

(前略)さまざまな肌の色は、紫外線の強度に対する遺伝的適応である。赤道付近の、陽射しが一年中強い地域では、メラニン色素が多い黒い肌の個体の方が自然選択において有利になる。紫外線をメラニン色素で吸収しないと、皮膚の葉酸が破壊されてしまうからである。葉酸は、とりわけ妊婦や胎児にとってはきわめて重要で、不足している場合には、脊椎披裂のような先天異常を引き起こすことがある。葉酸はまた、精子の生成にも関与している。
赤道から離れた地域では、強い紫外線を恐れる必要はなくなる。しかしこちらには、また別の問題がある。ヒトの体は、紫外線B波(UVB)を使って、ビタミンDを合成している。このビタミンは、脳、心臓、膵臓、免疫系の正常な機能には不可欠だ。黒い肌は、UVBを遮りすぎてビタミンDの合成を阻害する。高緯度地域で暮らすときには、メラニン色素が少ない白い肌の遺伝子が、自然選択において有利になる。
ところが、ビタミンDは、食事から摂取することもできる。実際、高緯度地域の狩猟遊牧民(たとえばイヌイット)は、ビタミンDを多く含む食物を摂るようになった。彼らは、魚や海洋動物をたくさん食べるのだ。この場合には、皮膚のメラニン色素を減らす方向の選択圧は弱まるので、肌の色もそれほど白くはならない*3。(pp.54-55)