さらに北へ?

承前*1

東京オリンピックのマラソン競歩を札幌に移すというプラン、オリンピックのオフィシャル・サイトも詳細に伝えている;


International Olympic Committee Announces Plans to Move O;ympic Marathon and Race Walking to Sapporo” https://www.olympic.org/news/international-olympic-committee-announces-plans-to-move-olympic-marathon-and-race-walking-to-sapporo


さて、『スポーツ報知』の記事;


玉川徹氏、マラソン札幌開催検討で「ある意味ウソをついたことに…」五輪立候補ファイルに「温暖」の記述
10/17(木) 9:16配信スポーツ報知


 17日放送のテレビ朝日羽鳥慎一モーニングショー」(月~金曜・前8時)では、国際オリンピック委員会(IOC)が16日に東京五輪の猛暑対策として陸上のマラソン競歩を札幌開催に変更する案の検討に入ったと発表したことについて伝えた。

 コメンテーターで出演の同局・玉川徹氏(56)は「なんでこんな事態になったのか、原点は何かと考えると、2013年の招致委員会の時の立候補ファイルというのがあるんです」と指摘。同ファイルの「理想的な日程」の項目を読み上げ「『この時季の天候は晴れる日が多く、かつ温暖である。アスリートが最高のパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である』と書かれている。これを世界に訴えて東京に招致したんです」と話した。

 つづけて「温暖っていう言葉を辞書で引いたんですけど『あたたかい』なんですよ」とあきれたように言うと、羽鳥慎一アナウンサー(48)も「あたたかいじゃないですね『ものすごく暑い』ですね」と同調した。

 玉川氏は「これを聞いて、今、日本人の中でその通りだって言える人が何人いるか。ある意味、ウソついたってことになるんじゃないでしょうか」と見解を示していた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191017-00000020-sph-spo

玉木正之*2は、ロバート・ホワイティング氏との対談で、

秋にやれないのはアメリカのテレビ局のせいでしょう? もっとも猪瀬直樹都知事時代の招致委員会がIOCに出したペーパーには、真夏の東京は選手が最大限の力を発揮するスポーツに最適の気候と書いてありましたけどね。
と述べていたのだった*3
北方領土でやれ、と主張している人もいるようだ;

ラソン変更「それなら北方領土くらいで」 小池知事
軽部理人 2019年10月17日19時10分


 2020年東京五輪のマラソン競歩をめぐり、国際オリンピック委員会(IOC)が暑さ対策として、会場を東京から札幌に移す計画を発表したことについて、東京都の小池百合子知事は17日午前、「たぶん東京は一番最後に知らされたんじゃないか。まさに青天のへきれきだ」と述べた。

 都内であった連合東京の定期大会での来賓あいさつで発言した。「マラソンコースではそれぞれの自治体や地域の方々が楽しみにして、どうやって盛り上げようかと考えていたところ、突然降ってわいたような話」と明かした。

 また「涼しいところでというのなら、『北方領土でやったらどうか』くらいなことを連合から声を上げていただいたらと思うわけです」とも発言。さらに「ロシアのプーチン大統領と親しい総理や森(喜朗・大会組織委員会)会長でいらっしゃるから、『平和の祭典を北方領土でどうだ』ということぐらい、呼びかけてみるのはありかと思います」と述べた。

 北方領土をめぐる発言について、小池氏は17日夕方、記者団の取材に対し、「突然の札幌、北の方だからということだったので、一案として申し上げた」と述べた。「発言の撤回は」と尋ねられると、「一案ということ」と繰り返した。

 一方、組織委の森会長は、都内で記者団に「きわめて無責任なことだ」と述べた。(軽部理人)
https://www.asahi.com/articles/ASMBK3TFVMBKUTIL012.html

11月に延期

NHKの報道;


即位に伴う祝賀パレードは来月10日に延期へ
2019年10月17日 15時49分


天皇陛下の即位に伴い、今月22日に予定されていた祝賀パレード、「祝賀御列の儀」について、政府は、台風19号*1の被災地への対応に万全を期すなどとして、およそ3週間延期し、来月10日に実施する方針を固めました。

政府は、憲法で定める国事行為として、今月22日に、天皇陛下が即位を内外に宣言される「即位礼正殿の儀」を行うとともに、祝賀パレードの「祝賀御列の儀」や、祝宴にあたる「饗宴の儀」を予定していました。

しかし、台風19号により広い範囲で甚大な被害が発生したことを受けて、政府は、被災地の復興・復旧対応に万全を期すなどとして、このうちの「祝賀御列の儀」について、およそ3週間延期し、来月10日に実施する方針を固めました。

一方、「即位礼正殿の儀」や22日から4回に分けて開く「饗宴の儀」については、予定どおり行うことにしています。

政府は、「祝賀御列の儀」の日程などについて、18日の閣議で、改めて決定することにしています。


市民「お祝いは落ち着いたら」
天皇陛下の即位に伴う「祝賀御列の儀」が延期されることについて、都内で話を聞きました。

東京・多摩市に住む76歳の女性は「被災地が大変な状況なので対応を優先してパレードを延期するのはいいと思う。自分は、上皇さまが結婚されたときのパレードを見た経験があるが、やはり、災害などがないときにお祝いするのがいいのではないか」と話していました。

埼玉県新座市に住む22歳の大学生の女性は、「被災地のことを思うとパレードどころではないと思うので、延期するという判断でいいと思う」と話していました。

また、東京・大田区の83歳の男性は「多摩川の近くに住んでいて自宅付近は被害がなかったが、もしかしたら自分も被災者になった可能性がある。天皇陛下も被災地を心配されていると思うし、お祝い事なので落ち着いたときにやったほうがよい」と話していました。


「祝賀御列の儀」とは
「祝賀御列の儀」は、天皇陛下が、皇后さまとともに、広く国民に即位を披露し祝福を受けられる儀式で、祝賀パレードにあたります。

今月22日、即位を内外に宣言する「即位礼正殿の儀」に続いて午後3時半から国事行為として行われることになっていました。

天皇皇后両陛下がオープンカーで皇居・宮殿を出発し、二重橋前交差点、国会議事堂正門前を経て青山通りに入り、およそ4.6キロのルートを通り抜けて午後4時ごろ、赤坂御用地にあるお住まいに到着される予定でした。

前回、上皇さまが即位された際のパレードでは、およそ11万7000人が沿道に詰めかけ、即位を祝いました。

今回のパレードで使われるオープンカーは、先月、納車されて皇居に運ばれ、皇居内でドライバーの習熟のための訓練が行われるなど準備が進められています。

儀式まで1週間となった15日には、両陛下が「即位礼正殿の儀」のリハーサルに臨み、リハーサルのあとに皇居内でオープンカーに試乗されました。一方、天候が悪化する見通しの場合、パレードは4日後の26日に延期され、26日も悪天候が予想されれば、取りやめられることになっていました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191017/k10012136401000.html

「延期」がまだ決定していなかった段階での記事「即位に伴う祝賀パレード 延期の方向で調整 台風対応で」からメモ;

これまでにも大きな災害や事件が起きた際には皇室の祝賀行事などが延期されたり、取りやめられたりしてきました。

大正12年には関東大震災を受けて、当時皇太子だった昭和天皇の結婚の儀式が延期されました。昭和34年には、東海地方に甚大な被害をもたらした伊勢湾台風を受けて、秋の園遊会が延期されました。

平成に入ってからも、平成7年の阪神・淡路大震災を受けて、春の園遊会が取りやめになりました。

翌平成8年には、南米ペルーの日本大使公邸で起きた人質事件に配慮して、天皇誕生日の祝賀行事や一般参賀が取りやめになりました。

平成23年には、東日本大震災の発生を受けて春の園遊会が取りやめになりました。

平成25年には、台風26号の大雨で伊豆大島などで大きな被害が出たことを受けて、上皇后さまの誕生日の祝賀行事が取りやめられました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191017/k10012135891000.html

Guardian on Harold Bloom

承前*1

Eric Homberger*2 “Harold Bloom obituary” https://www.theguardian.com/books/2019/oct/15/harold-bloom-obituary


少し抜書き。


“Criticism,” observed the literary critic Harold Bloom, who has died aged 89, “starts (it has to start) with a real passion for reading.” Blessed with extraordinary gusto as a reader, Bloom claimed to have read everything. He could quote the classics of English and American poetry by heart. He forgot nothing, and retained his passionate love for literature and belief in its supreme value through dark decades in which “literary theory” – a term he scorned – threatened to displace the study of literature in US higher education.
ハロルド・ブルームは英国浪漫主義の研究家として出発したが、その前提としてT・S・エリオットの古典主義に対する反発があり、ブルームをエリオットから解放したのはノースロップ・フライ*3だった。

In the work of Frye, Bloom discovered his “authentic precursor”: “It ravished my heart away. I thought it was the best book I ever read about anything. I must have read it a hundred times between 1947 and 1950, probably intuitively memorised it, and will never escape the effect of it.”

Blake’s Apocalypse: A Study in Poetic Argument (1963) was followed by a study of Yeats in 1970, and a year later The Ringers in the Tower: Studies in Romantic Tradition, in which he tried to show, in the face of modernist orthodoxies, that the Romantic imagination was the formative presence in the greatest Victorian and modern poets. In his early 40s, Bloom had become the dominant figure in the academic study of Romanticism and its heritage.

そして、「影響」論の1970年代;

In the 1970s he turned from the study of the Romantic imagination to the subject of originality itself, and its impossibility. In two powerfully influential books, The Anxiety of Influence (1973) and A Map of Misreading (1975), Bloom argued that literary texts were born under the shadow of predecessors. This titanic literary contention between fathers and sons (seldom between mothers and daughters) represented the anxious struggle of the poet before the “cloud of presences” in the very language of poetry itself.

“No poet can write a poem,” he argued, “without, in some sense, remembering another poem.” Others had made similar claims, but Bloom’s formulation of relations between poets came with an exotic specialist terminology of ratios: clinamen, tessera, kenosis, daemonization and askesis (that is, swerving, completing, emptying, displacing and diminishing). This mainly served to distract attention from Bloom’s passionate love for poetry itself.

The Anxiety of Influence: A Theory of Poetry

The Anxiety of Influence: A Theory of Poetry

A Map of Misreading: With a New Preface

A Map of Misreading: With a New Preface

1980年代以降、ブルームは一貫して(文学や批評における)多文化主義フェミニズムポストモダニズムなどに対する〈アンチ〉として振る舞ってきた。ブルームの知識人としての名声がアカデミズムを超えた一般読者にまで拡散したのは、こうした〈保守反動〉の振舞いを契機としてであった;

In the US culture wars, Bloom shared the feeling of heavyweight pontificators such as Allan Bloom (no relation)*4 and George Steiner that the wretched “American century” (the US-dominated 20th century) was the endtime of cultural values as the west had known them for millennia. Yet he called Philip Roth, that maestro of transgression, the greatest of contemporary American novelists, and was scathing of the misdeeds and warmongering of President George W Bush. Increasingly a public intellectual, Bloom fired from the hip. Impact, not consistency, defined his polemical style. He relished his growing celebrity.

Bloom’s cultural polemics were sharp-tongued and colourful, but his smile was warm and boyish. There was a roly-poly gentleness about him which reminded students of Paddington Bear. If you came under fire from him, he could be altogether more aggressive and insulting. His targets encompassed Michel Foucault, multiculturalism and a miscellaneous horde of “camp-followers afflicted by the French diseases, the mock-feminists, the commissars, the gender-and-power freaks, the hosts of new historicists and old materialists”. He reserved more than a little scorn (richly reciprocated) for the “wretched” Terry Eagleton*5, leader of the “rabblement of lemmings” and the “School of Resentment”.

待っていた

カーゴ・カルトに言及したばかりなのだった*1
さて、APF=時事の記事;


「終末」待ち9年地下生活か オランダで親子7人発見
10/16(水) 7:29配信AFP=時事


【AFP=時事】オランダ北部で、人里離れた農家の地下室に隠れて暮らしていた男性とその成人の子ども6人が、警察により発見された。当局が15日、明らかにした。メディア報道によると、親子は9年間にわたって地下で「終末」を待ち続けていたという。

 警察は北部ドレンテ(Drenthe)州の村ライナーボルト(Ruinerwold)近郊で、父親とみられる男性とその18~25歳の子ども6人を発見した。

 地元メディアの報道によると、一家発見のきっかけは、息子のうちの1人が混乱した状態で近所のパブを訪れ、ビールを5杯飲んだ後、過去9年間にわたり家の外に出たことがなかったと告白して助けを求めたことだった。警察は現場で、捜査への協力を拒否したとして58歳の男を拘束したが、この男は父親ではなかった。

 一家発見を最初に報じた地元テレビ局RTVドレンテ(RTV Drenthe)によれば、親子は「『終末』を待ちながら数年間にわたって地下で暮らしていた」という。一家の中には「ほかに人々が存在することをまったく知らなかった」人もいたとされる。

 同局によると、一家は外界とまったく接触せず、菜園とヤギ1匹を持ち完全に自給自足の生活を送っていた。また「父親は数年前に脳卒中を起こし、ベッドに横たわっていた。妻がいる様子はなかった」という。近所の人々は同局に対し、家族の存在は把握しておらず、農家に住んでいたのは男性1人のみだと思っていたと語っている。【翻訳編集】 AFPBB News
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191016-00000003-jij_afp-int

この記事を最初に読んだときに思ったことは、男子秘密結社*2、女のいない集団だ! ということ。
さて、記事を読んでも実際にはわからないことだらけだということに気づく。そもそも「脳卒中」で寝たきりになった「父親」と呼ばれる男と若い男たちが「親子」である証拠はないわけでしょ? もし「親子」であるのが事実であったら、今度は母親は何所に行った? ということが問題になる。「親子」でないとしたら、若い男たちはどのような事情や経緯で「父親」と一緒に暮らすようになったのかということが問題になるだろう。また、彼らはどのような経緯で「終末」を信じるようになったのか。彼らの信じ、待ち望んでいる「終末」は具体的にどのような出来事なのか。

「土地公」と「御嶽」

沖縄タイムス』の記事;


石垣島の聖地で「豚祭り」 台湾出身者や子孫、豚供え商売繁盛願う「土地公祭」
2019年10月15日 14:30


 台湾出身者による「土地公祭」(主催・琉球華僑総会八重山分会)がこのほど、沖縄県石垣市名蔵の名蔵御嶽で開かれた。台湾を離れて孤立気味だった人々を元気づけようと1936年から始まり、毎年開かれている。天の神と地の神である土地公へ供物をささげて収穫を感謝するとともに、家内安全や商売繁盛を願った。

 台湾移住者の子孫やゆかりのある住民をはじめ、学術研究に携わる大学教授、八重山台湾親善交流協会の伊波努会長らが参加した。豚を供物としてささげることから「豚祭り」とも言われる。

 同分会の玉木茂治会長があいさつし、焼香が始まった。

 沖縄のウチカビと似た風習もあり、台湾出身者や一般参加者らであの世のお金を焼いて台湾文化に触れた。舞台では多彩な音楽ステージが披露され、集まった人を楽しませていた。

 5年ぶりに参加した相模女子大学の岡部芳広教授は「前回よりも参加者が多く、舞台演目も多彩だった。私たちに温かく接してくれる姿に、台湾の人々のコミュニティーの頼もしさを感じた」と話した。(奥沢秀一通信員)
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/484662

Wikipediaの「城隍神」の項に曰く、

城隍神(じょうこうしん)とは、中国の民間信仰における土地の守護神である。別名は福徳正神もしくは土地公ともいう。

基本的に、都市の守護神を城隍神と呼び、それぞれ階級があり、その中でもっとも高い地位にあるのが都の守護神である城隍神であり、さらに府、州、県の順にランクづけられている。

土地の神とされるのは、その土地に縁ある人物が生前の功績により、玉皇上帝やその配下の関帝に任命されると考えられている。

土地の神の信仰が始まったのは一世紀ごろと考えられ、それ以降、戦争や災害、疫病などが起こるたびに祈りを捧げられた。

この信仰は、土地の神にも昇進や左遷もあるとされ、功績や失敗でより高い地位の土地神とされたり、低い地位の神にされたりすると考えられていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%8E%E9%9A%8D%E7%A5%9E

中国語版の「土地公」の方が詳しい*1。また、「台湾の土地公とは何か?‐土地信仰の場所と目的の謎に迫る」も参照されたい*2
「御嶽」*3というトポスで行われているのが興味深い。
また、八重山と台湾とのつながりについては、立松和平『砂糖キビ畑のまれびと』*4をマークしておく。
砂糖キビ畑のまれびと―沖縄・与那国への旅 (ちくま文庫)

砂糖キビ畑のまれびと―沖縄・与那国への旅 (ちくま文庫)

第二の人生

森さやか「元台風19号ベーリング海に到達 アラスカなどで大荒れ」https://news.yahoo.co.jp/byline/morisayaka/20191015-00146998/


東日本を中心に本州を蹂躙し、その後温帯低気圧になった台風19号*1は北上を続け、ベーリング海峡に達し、アリューシャン列島などに大荒れの天気をもたらしている。さらに、来週には北米大陸アラスカ州)に上陸する可能性もあり。


杉江勇次「新たな熱帯低気圧が発生、今後の動向に注意」https://news.yahoo.co.jp/byline/sugieyuji/20191015-00146935/


10月15日午前、フィリピンの東方沖で新たな熱帯低気圧が誕生。北西方面(沖縄の方向)にゆっくりと移動している。

「著しく不適切な行為」

スポーツニッポン』の記事;


大学アメフット界またも…慶大部員、女子風呂“悪質”盗撮…無期限の活動自粛
10/16(水) 5:30配信スポニチアネックス


 日大の悪質タックル問題*1で揺れた大学アメフット界で、またも不祥事が発覚した。慶大のアメリカンフットボール部は15日、活動を無期限で自粛すると発表した。大学の体育会と連名でホームページ上に掲載したリリースでは「複数の部員による著しく不適切な行為があったため」としている。詳細は「教育的観点」と「プライバシー保護」を理由に公表を避けた。

 大学OBら関係者の話を総合すると「著しく不適切な行為があった」のは今年8月の夏合宿中。一部の部員が女子風呂を盗撮し、被害者の人数は2桁に上るほど悪質だったという。すでに関わった部員2人が退部しているとの情報もある。チームは8月31日の立大戦からリーグ戦に突入し、すでに3試合を消化。その間、不祥事にからんだ他の複数の部員らが謹慎処分を受けていたが、事態を重く見た大学と部がこの段階になってようやく無期限の活動自粛を発表するに至った。

 慶大は関東大学リーグの1部上位8校による「TOP8」でプレーしている。発表では「関係する方々に多大なご迷惑をおかけすることを心からおわび申し上げます」と謝罪し、「再発防止と部の再生に全力で努める」としている。

 慶大広報課によると大学、部ともに会見を開く予定はなく、盗撮行為についても「具体的な内容は申し上げられません」としている。また、部の健全な運営とコンプライアンスの徹底、再発防止を目的に、すでにアメリカンフットボール部の田中謙二部長の主導による“再生プロジェクト”を立ち上げたことも明かした。

 リーグを統括する関東学生連盟は今季ここまで2勝1敗の慶大が第4戦以降を棄権し、不戦敗扱いになると発表。慶大の発表を受け同日中に緊急会合を招集。あす17日にも臨時理事会を開き、慶大の代表者出席の上で今後の措置を話し合う見通しだが「TOP8」からの降格は決定的。来季までに活動を再開したとしても1部下位校による「BIG8」でプレーすることになりそうだ。

 日大に続く2年連続での「TOP8」チームの不祥事。態度を硬化させている被害者もいるとの情報もある一方、事件発覚から約2カ月遅れでの活動自粛発表は“隠ぺい”と受け取られても仕方のないところ。より事態が深刻化する可能性も出てきた。

 ◆慶応義塾大学アメリカンフットボール部 1935年に部員28人でクラブ設立。1947年の第1回甲子園ボウル同志社大を45―0で破り、初代学生王者に輝いた。大学王座には計4度輝いたが1950年を最後に優勝はない。部員、スタッフ合わせて200人を超えるビッグクラブ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191016-00000023-spnannex-soci

「教育的観点」と「プライバシー保護」と言いながら、中の人たちのリークを通じて、メディアに暴露されてしまった。ああいうような仕方で隠せば、多くの人が実際に何があったのか? と知りたくなるだろうし、メディアだって、そういう読者の欲望に応えて、実際に何が起こったのか、探りを入れてみるだろう。そういう意味で、非常に挑発的だった。
「再発防止」を目指すって、どうするのだろうか。「コンプライアンス」をお説教することによって「盗撮」を根絶できるのだろうか。ひとつ言えるのは、ここには女子を共有のオカズとすることによって存立する男子秘密結社的ともいえるホモソーシャルな構造が成立していているということだろう。「コンプライアンス」よりも、そうした構造を如何にして解体していくのかということが、「再発防止」の鍵となるのだろう。
See also


「慶大アメフト男子部員不祥事 女子部員の風呂を盗撮」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191016-10150961-nksports-spo
週刊文春デジタル」編集部「慶應アメフト部員は合宿中に女性露天風呂を動画盗撮・拡散し……《無期限活動休止の真相》」https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191016-00014763-bunshun-soci


2012年には、早稲田大学アメリカン・フットボール部でも女風呂のぞき事件が起こっていた;


「「のぞきアメフット慶大」7年前・早大との差 部ぐるみで隠蔽の不穏情報も」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191016-00000031-tospoweb-spo